近藤長次郎が果たした大きな役割として、薩摩藩と長州藩の融和に活躍したことが挙げられる。近藤は、「小松・木戸覚書」(いわゆる、薩長同盟)の締結に大いに尽力したのだ。その真相に迫るためには、近藤が登場する前の政治動向はどのような状況であったのか、理解する必要があろう。それでは、長州藩の視点に立って、その実態から紐解いておこう。 文久3年(1863)の8月18日政変によって、即今破約攘夷を唱え、幕府を窮地に追い込んでいた長州藩は、中央政局から追い落とされた。その後、三条実美らの7卿を迎え入れ、その汚名を返上し、再び中央政局を牛耳る機会を虎視眈々と狙っていたのだ。 しかし、長州藩は復権に向けた嘆願を繰
近藤長次郎が薩長同盟を進めるに至るまでの長州藩の政治的動向、龍馬が設立した「亀山社中」は本当に存在したのか?
幕末維新史探訪2025(6)近藤長次郎と薩長同盟—知られざるユニオン号事件の実相とは③
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