鎌倉時代中期の1274年と1281年の二度にわたり、元のフビライが日本に侵攻したことは「蒙古襲来」または「元寇」としてよく知られている。 その元寇より約250年前の平安時代中期にあたる寛仁3(1019)年にも、後に「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」と呼ばれる異民族の侵攻があった。藤原道長が寛仁2(1018)年10月16日に、絶頂のなか「望月の歌」を詠んだ約半年後の出来事である。 今回の放送では、この「刀伊の入寇」がじっくりと描かれた。一体どんな事件だったのか。「刀伊」とは、高麗で「夷狄(いてき)」を意味し、日本では主に朝鮮半島東北部に住む女真族(じょしんぞく)のことをいう。寛仁3年3月28日に
『光る君へ』武闘派貴族で“天下のさがな者”だった藤原隆家が大活躍した「刀伊の入寇」の顛末
Premium会員登録のご案内
Premium会員の特典
- プレミアム限定の記事配信
- プレミアム専用記事レイアウト
- 印刷に最適な画面提供