司馬遼太郎の歴史小説に『貂(てん)の皮』という作品がある。脇坂家が大名に成り上がる物語で、短編ながらなかなかの佳品だ(新潮文庫『馬上少年過ぐ』所収)。 脇坂家初代の安治は、豊臣秀吉子飼いの武将で「賤ヶ岳七本槍」に数えられたものの、その後は武功もパッとしない。関ヶ原では小早川秀秋の寝返りに乗じて東軍に与し、5万石の近世大名となったものの、そののち封地は転々とし、3代安政の1662年(寛文12)、ようやく5万3千石で播磨龍野に落ち着いた。お隣の赤穂に、やはり5万石余で浅野家が封じられてから24年後のことである。 龍野には鶏籠山(けいろうさん)城といって、織田・豊臣時代に築かれた石垣造りの堅固な山城
名城どころか凡城以下?脇坂家の「龍野城」がそれでも城としての使命をまっとうできた理由
近世の大名居城としてはひどく質素、城としての見どころはなくても愛おしい城
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