徳川幕府最後の将軍となった慶喜について、世上の評価は分かれている。ただ、少なくとも彼は、幕府という枠組みを自ら放棄することによって、新しい体制下で徳川家が実権を握る枠組みを構想していた。また、倒幕側の挑発に不用意に乗らないだけの洞察力と冷静さも、持ち合わせていた。 だからこそ薩長を中心とした倒幕勢力は、鳥羽伏見で強引に開戦に持ち込むことで、戦争を既成事実化しなければならなかったのだ。この時の倒幕勢力は、実態としては薩長を中心とした有志連合でしかなく、日本を統治する実力も組織も体制も、持ち合わせていなかったからだ。 そこで彼らは、徳川幕府に対抗する旗印として朝廷を担ぎ出すことによって、「新政府」
鎌倉、室町、織田・豊臣、江戸幕府…権力が倒壊した原因と、それにつながる日本の天皇家が命脈を保ち得た理由
歴史から考える「権力が倒れる時」(4)
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