天保11年(1840)、清(中国)とイギリスとの間でアヘン戦争が勃発した。天保13年(1842)年8月、イギリス軍に大敗した清は南京条約を締結させられた。これによって、清は広州や上海など5港の開港、香港の割譲、1200万両の賠償などを強いられ、中国分割の起点とされる事態に追い込まれたのだ。 東アジア最大の国家であり、盟主とも言える清の惨敗は、日本人の為政者・知識層を過剰なまでに刺激した。その結果、植民地化の危機を深甚に意識することに直結した。一方で、 幕府はその事実の隠蔽を企図し、国内での動揺を抑えようと努めたが、思うようにいかなかった。島津斉彬は、琉球を通じて独自にその詳細を熟知した。 とこ