天文5年(1536)7歳(数え年。現在なら5歳ぐらい)になった上杉謙信こと長尾虎千代は、同年3月に林泉寺の住職・天室光育和尚のもとに預けられたという。 インターネット百科事典などでは、そこで僧侶となるため、中学生ぐらいの年まで過ごしたと言われている。だが、史料上では同年夏に林泉寺を出て元服しており、虎千代の林泉寺入りは、僧侶になるためではなかった。上級武士としての教育を施すため、禅宗の寺院に預けられたと考えるべきだろう。 虎千代が林泉寺でどのように過ごしたかは同時代の史料がないが、江戸時代に作られた史料では、用兵、武技、芸学の習得に力を入れていたと伝わっている。悪ガキ共を率いて合戦ごっこをした
単なる教育か、それとも…上杉謙信はなぜ、幼い頃に林泉寺に入れられたのか?
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