ナポレオン帝政(1804~15)後のフランスは、東アジアヘの進出に熱心であり、特にその矛先はインドシナ半島に向いていた。日本との接触は、中国(清)と薩摩藩による二重支配を受けていた琉球から始まった。当時の琉球は、清による冊封体制下で朝貢国として存在すると同時に、薩摩藩による実効支配を受けていた。つまり、両属関係にあったのだ。 天保15年(1844)、東洋艦隊のアルクメール号が琉球列島に来航し、首里王府に和親と通商、キリスト教布教を求めた。2年後の弘化3年(1846)、セシル提督が那覇に来航し、再び条約締結を迫ったが琉球はこれを拒否した。もちろん、その決定には薩摩藩の意向が反映していた。 これ以