次は藤原北家魚名(うおな)流の豪毅な官人について述べよう。『日本文徳天皇実録』巻四の仁寿二年(八五二)二月壬戌条(二十五日)は、次のような藤原高房(たかふさ)の卒伝を載せている。 魚名流は、左大臣に上りながら延暦元年(七八二) に左降された魚名の子孫である。魚名の子のうち、鷲取(わしとり)の子孫は山蔭(やまかげ)男中正(なかまさ)の女に時姫(ときひめ)が出て兼家(かねいえ)の室となり、道隆(みちたか)や道長(みちなが)を産んだことから、それなりに高位高官に上った。山蔭は吉田(よしだ)神社を創始したほか、四条流庖丁式(しじょうりゅうほうちょうしき)の創始者に擬せられている。 また、藤成(ふじなり