今月某日、都内で友人たちと雑談に興じた。 話題は珍説・奇説を広めておられる小説家たちのことに及んだ。 みんな否定的ではない。 私はそのロールモデルの1人として、作家・八切止夫(1914?〜87)の名前をあげた。日本ならではの歴史異説ブームは、彼の独自性によるところが強いと思っていた。 すると、ある友人は「みんな忘れがちなことだが、八切氏が増産したトンデモ説は、彼はそれを小説という形の範囲を守っている」という趣旨の指摘をされた。 一部の作家が「小説家」の肩書きを使い、小説ではない場で放談をされているのは、八切流と違うというのである。 この点、言われてみるまで本当に忘れがちだったことに気づいた。