(前編からつづく)突如出現した城に北条側が肝を潰した、という話がガセだしても、秀吉が石垣山城を80日間で、どうにか城として使える状態まで持っていったのは事実だ。大勢の人足や職人を動員しての突貫工事であったろう。 ただ、この驚くべき急速建造が実現したのにも、ちゃんと理由がある。秘密は、石垣山城の立地に隠されている。石垣山城は、箱根の山から海に向かって伸びる尾根の一角にあって、城の北面は早川に臨む崖となっている。 ご存じのように箱根は活火山で、太古の昔に何度か大噴火を起こして大量の溶岩を噴出し、山体が陥没して巨大なカルデラとなった。石垣山城が乗っている尾根は、このとき流れ出した溶岩が固まってできたも
秀吉はなぜ「石切場」に城を築いたのか?石垣山一夜城が必要だった本当の理由
石垣山一夜城にまつわる不都合な事実(後編)
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