静岡県三島市にある山中城は、戦国時代を代表する巨大な山城である。もともとこの城は、北条氏の国境要塞であったが、豊臣軍の来寇を前にして全面的なリニューアルが施され、土造りの城としては最強の防禦力をもつ戦闘施設となっていた。 関東に攻め込もうとする豊臣秀吉の大軍が、その山中城に襲いかかったのは、1590年(天正18)3月29日のこと。秀吉は、上方で留守居に当たっていた諸将に対し「昼頃、山中城に攻めかかり、たちまち攻め崩した」と書き送っている。 そこで、山中城は短時間の戦闘であっけなく陥落したように書いている歴史家が多い。しかし、当日の戦いに実際に参加した渡辺勘兵衛了(さとる)という武士が書き残した