松本城を築いたのは、今年の大河ドラマ『どうする家康』で一躍有名になった、石川数正である。 この場所には、もともと武田氏が作戦基地として築いた深志(ふかし)城という城があった。1590年(天正18)、豊臣秀吉の天下統一にともなって諸大名が異動になった際、数正は8万石をもって当地に入部した。 すでに、秀吉のヘッドハンティングによって徳川家から引き抜かれていた数正は、この深志城を、豪壮な五重天守を備えた近世城郭=松本城へとリニューアルしたのだ。 石川氏時代の松本城天守は、五重の大天守と三重の乾(いぬい)小天守、およびこれをつなぐ渡櫓からなっていた。その後、江戸時代になって、石川氏の後に入った大名が改
「どうする家康」に登場する石川数正、彼が築いた松本城は本当に名城なのか?
石川数正が築いた松本城は名城か?(前編)
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