『鬼平犯科帳』の「鈍牛(のろうし)」では、長谷川平蔵が放火犯の身代わりとなって捕らえられた亀吉を尋問するために、伝馬町牢屋敷に赴くエピソードがある。 多くの時代劇に登場する日本橋小伝馬町の牢屋敷は幕府最大の牢獄で、敷地面積は約2618坪(約8637平方メートル)あり、サッカー場をひと回り大きくした広さだ。周囲は高さ約8尺(約2.5メートル)の練塀(ねりべい)が囲み、その外側には堀がめぐらされていた。 徳川家康が江戸に入部した当初に創設されてから明治時代初期に取り壊されるまで、脱牢した者はほとんどいなかったといわれる。 江戸時代には懲役刑や禁固刑はなかったため、現在のような刑務所にあたる施設は存在