永禄3年(1560)の尾張桶狭間合戦で、徳川家康(松平元康。以後、通称を使う)は兵糧の輸送役を担当した。家康、当年19歳。 大高城に物資を運ぶのはかなりの重要任務で、失敗すれば、より大きな作戦そのものが破綻しかねない。 例えば、天正2年(1574)下総の関宿城が相模の北条軍に攻められた。 越後の上杉謙信はこれを救援するため関東に越山して、利根川向こうの城内に兵糧の輸送を試みた。だが、かねてからの大雨で増水している利根川を越えることは難しく、輸送物資はことごとく流されてしまったようだ。 謙信はこの失敗を「ばかもの」のすることだと猛省した。結局、関宿城は救われず、北条軍の手に落ちた。 現地は地形の
『どうする家康』の桶狭間で金の甲冑を着ていた家康、本当は赤備えだった?
属下領主の宿命、重要ながら地味な働きでも、結果的に命拾いした家康の運
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