織田信長と武田勝頼の長篠合戦に至る流れを見ていこう。 足利義昭による第三次織田包囲網は、もともと義昭と対立していた勢力をも味方に引き入れ、信長の味方であったはずの毛利輝元も参加させるまでに至った。 天正3年(1575)4月6日、信長は岐阜城を発し、「五畿内・尾・江・勢州・若州・丹後・丹波・播磨・根来寺四谷之衆」からなる「御人数十万余」もの大軍を催して摂津高屋城の三好康長と大坂の本願寺顕如を攻めた。同月19日に康長はあっさり降伏。信長はこの戦果に満足して「秋にまた再戦する」と言い、すぐに帰国した。 これを見た甲斐の武田勝頼は、同月28日、勝頼は越中の杉浦紀伊守に対し、「当春夏の間」に信長が上洛し