文久2年8月21日(1862年9月14日)、生麦事件が勃発した。リチャードソンが殺害され、負傷者も出たとの一報がロンドンにもたらされると、ラッセル外相は幕府に対して、事件の発生を許したことに対する公式の謝罪、犯罪に対する罰として10万ポンド(40万ドル、当時1ポンドは約2両、現在の2万円程度)の支払いを要求したのだ。 単純に比較することははばかられるものの、現在の貨幣価値ではどの程度の金額であるのか、気になるのは仕方がないであろう。10万ポンドは、現在の金額にあえて置き換えるとすると、20億円ほどになるであろうか。この金額をどのように判断するのかは難しいが、決して少額とは言えないのではないか。