足利義昭というと弱そうなイメージを持つ人が多いと思う。また、信長の操り人形にされかかったというイメージも強い。 しかし義昭は、初期の頃から合戦の前線に出ることがあり、しかも信長以外には勝利を重ねている。 有名なのは、本圀寺の変における六条合戦だろう。 永禄12年(1569)正月4日、三好三人衆が一色龍興・長井道利らを糾合して、義昭の仮御所である京都の六条本国寺(日蓮宗寺院)を襲撃した。義昭を将軍に就けた織田信長は、美濃に帰国して不在だった。 将軍御所は兄の足利義輝が殺害される際に失われてしまっており、昨年将軍となったばかりの義昭には、籠城可能な拠点が寺院ぐらいしかなかったのだ。 義昭のもとへ、