古今東西、政情が不安定になったり震災が起こったりすると、必ずどこからか不思議と湧き上がってくるのが流言、風説、デマの類であり、今で言うフェイクニュースである。幕末においても、それは同様である。時によって、まことしやかに喧伝された流言によって、暗殺の対象とされてしまい、命を落とす人物も少なからず存在した。 元治元年(1864)の夏、具体的には4月から7月にかけて、前年の八月十八日政変によって京都から追放された長州藩は、勢力の挽回を図って率兵上京を計画し実行に移した。そのため、幕府や会津藩、薩摩藩と長州藩の間では、軍事的衝突が回避できない情勢になっていたのだ。こうした不安定極まりない中央政局におい