東国における荘園・公領からの年貢・税の納入に責任をもて、と命じた「寿永2年10月宣旨」を、頼朝は受けいれました。一見すると、頼朝が朝廷に服従したように思えます。だからこそ朝廷は、頼朝を平家討伐の功績第一と認めたのです。