治承4年(1180)の8月26日、三浦の一族は皆、まなじりを決して衣笠山に集結していた。3日前、彼らは頼朝と合流を果たすべく西へと向かっていた。しかし、大庭景親率いる討伐軍は思いのほか出足が早く、かつ大軍であった。惣領の三浦義澄は、雨で水かさの増した酒匂川を前に退却を決意した。