アイシンの特別展で展示された初代クラウン(2022年8月)写真提供:共同通信社
「ものづくり大国」として生産方式に磨きをかけてきた結果、日本が苦手になってしまった「価値の創造」をどう強化していけばよいのか。本連載では、『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』の著者であり、故・糸川英夫博士から直に10年以上学んだ田中猪夫氏が、価値創造の仕組みと実践法について余すところなく解説する。
今回は、1990年代からDXを先取りしていたトヨタ製品開発システムの独自のプロセスを紹介する。
同時並行で製品開発を行うトヨタのシステム
トヨタ製品開発システムでは、設計変更の容易性と開発リードタイムの短縮を実現するため、基本的にフロントローディング(早い段階)で各工程が同時並行で行われる。
例えば、グローバルモデルのカムリのチーフエンジニア(CE)だった北川尚人氏がCEを務めた若者向けのbBの開発(第8回参照)では、各工程を司るそれぞれの部門(車両実験部、生産技術部、工場検査部、原価計算経理部、仕入れ調達部)が大部屋に集まり開発を行った。
3次元にデジタル化された設計データや部品データをコンピューター上で仮想に組み立てる自社開発ソフトウエアV-Comm(Visual & Virtual Communication)を使いながら、CAE(Computer Aided Engineering)で流体解析や熱解析などの性能シミュレーションを行うことで、試作レスを実現し開発費を半減した。最近のDXブームで実現したのではなく、なんとトヨタでは、1990年代後半にすでにこれを実現しているのだ。
このようなサイマルテニアス(同時並行)の開発を行うトヨタ製品開発システムを、第12回で紹介したMOT(技術経営:Management of Technology)の「研究」→「開発」→「事業化」→「産業化」という直列プロセスにマッピングしてみる。
(出所)『技術経営の考え方』(山川通著、光文社新書)拡大画像表示
◯ 商品企画フェーズ
MOTの「研究」におけるR&D(研究開発)は、トヨタ製品開発システムでは製品開発に応用されることを目的としている。『トヨタの強さの秘密 日本人の知らない日本最大のグローバル企業』(酒井崇男著、講談社現代新書)によると、具体的なR&Dの研究テーマは、CEのいる開発センター(製品企画室)や設計部門から各研究機関(部品メーカーを含む)に提示され、実現可能性のある技術はCEに売り込まれる仕組みになっている。
研究成果がCEによって採用される可能性が出てくると、研究に予算が付く。つまり、R&Dを設計情報を創造する製品企画フェーズに位置付けているのがトヨタ製品開発システムなのだ。
トヨタのチーフエンジニアにとって「魔の川」とは?
ここからは『トヨタ チーフエンジニアの仕事』(北川尚人著、講談社+α新書)を参考にトヨタ製品開発システムについて解説する。
商品企画フェーズの目的はコンセプトの創出だ。新商品モデルのセグメントやターゲット購買層(STP:Segmentation、Targeting、Positioning)、セリングポイント(潜在顧客へのアピールポイント)、販売価格、販売目標台数などが商品企画部(事務系部門)でまとめられる。これが商品企画会議でトップに承認されることでCEが任命される。
任命されたCEは、もう一度自身でマーケティング情報や販売店の声や競合他社の情報を集め、新モデルのイメージを固め、次のようなCE構想書(開発提案)に落とし込んでいく。
- 企画の背景
- 開発の狙い
- セリングポイント
- 車両各部概要
- 車種構成
- 重量(質量)企画(車両重量が軽いほど燃費がよく、原価も下がるため、重量目標を定める)
- 原価企画(設定した売価で必要な利益が出せる原価目標を定める)
- 開発大日程
製品企画会議で承認(開発決定)されるとデザインに移る。ちなみに、トヨタ製品開発システムでは、商売、営業面から見るフェーズを「商品企画」、開発、生産面から見るフェーズを「製品企画」と区別している。
デザインは売れ行きを大きく左右するので、「意匠選択」「意匠確定」「商品化決定会議での意匠承認」の3つのフェーズがあり、その都度営業や経営陣の声が反映される。
一般的に自動車業界では、意匠承認からラインオフ(量産開始)までを開発期間と呼んでいるため、商品企画会議での承認→CE任命→CE構想書→製品企画会議での開発承認(開発決定)→デザイン→商品化決定会議での意匠承認までを、商品企画(コンセプト創出)フェーズとした。
商品企画フェーズはMOTの「研究」に位置するものである。CEにとって、研究から製品開発への移行段階で直面する障壁である「魔の川」は、製品企画会議での開発承認と商品化決定会議での意匠承認の2つと言えるだろう。
トヨタの製品企画フェーズの3つの特徴
CEによる商品企画フェーズ(コンセプト創出)には、いろいろな方法が用いられる。例えば、経済発展するインドネシアのニードを調べるために農村の生活実態を調べることもある。
北川氏はジャワ島のスラバヤから車で2時間ぐらいにある30戸くらいの集落で6軒の家を訪問し、そのうちモスクの隣にある1軒に泊めてもらったという。そこで、毎朝アザーン(礼拝の合図)で目を覚ます生活を共にした。
このフィールド調査によって、インドネシアの農民の優先順位が分かった。農民たちにとって最も重要なのは田畑の拡大で、次に自分の家と子供の教育、その次に車の購入と続く。これは、収穫された農作物を中間業者が直接取りに来るというシステムが確立されているため、農民自身が運搬用の車を必要としないからだ。
このように現地を訪ね、現物に触れ現地の人と話すことで潜在顧客の生の声を聞きコンセプトが創出される。もちろん、潜在顧客の観察、一対一のデプスインタビュー、複数の異なる属性を持つ集団に対するフォーカスグループインタビューなども行われる。
第8回で紹介した和田明広氏のCE10カ条に、「第5条 市場調査ほど信頼できないデータはない。過去の事実は素直に評価すべきだが、将来の動向には十分な検討が必要。売れないと言われて売れた車、逆の車も多い」とあるように、市場調査や過去データを気にしすぎたら負けで、CEはあらゆる角度から自分の頭で考えろ、という行動指針も示されている。
◯ 製品企画フェーズ
確定したデザインを基に大量生産が可能な設計情報を作成する段階が製品企画フェーズだ。前述したように、設計・試作・評価・生産技術はデジタル化され試作レスで行われる。実際には、ボディーの骨格や結合部位の断面図などの構造計画図→SE(※)図面→正式図面の3つの段階で、量産可能な設計情報に仕上げていく。同時に生産準備(金型、設備設計)と発売準備が並行され、量産トライ(量産トライアル)からラインオフとなる。
(※)Simultaneous Engineering(同時並行開発)。具体的には後工程の生産技術や工場での作りやすさ、金型設計などの事前検討した結果を早期に設計情報にビルトインすることを指す。
トヨタ製品開発システムの製品企画フェーズには、次の3つの特徴がある。
1.サイマルテニアスエンジニアリング
各関連部門の主要メンバーが一つの大部屋(OBEYA)に集まり、V-CommとCAEなどによるサイマルテニアスで設計・試作・評価・生産技術から試作レスを実現する。
2.レジデントエンジニア制度(RE)
量産トライが工場で行われる段階で、第8回で紹介したCEチームのエンジニアが工場に一定期間常駐する制度がある。これをレジデントエンジニア(RE)制度と呼ぶ。REは要求品質と製造品質や目標性能をチェックし、量産トライの性能確認車を使って認証試験を受検し、必要な許可を取得する。つまり、CEは生産だけでなく、認証試験にも責任を持っているのである。
3.デザイントゥコスト
トヨタの製品開発システムの最大の特徴は、このデザイントゥコストの考え方だ。トヨタの車の販売価格は原価の積み上げでは決まらない。トヨタでは、次の定式が組織的に徹底的に浸透している。
「売価-利益=原価(コスト)」(「原価+利益=売価」ではない)
前工程の商品企画フェーズによって、ターゲット購買層(STP)から導き出された車両販売価格帯が決まっているだけでなく、会社全体の利益計画から車種ごとに利益の分担額が示されている。つまり、売価と利益は車両を設計する前に決定しているのだ。
量産1台当たりに必要な利益が生まれるための利益創造(原価企画)が、CEの最も重要な役割と言ってもいいだろう。また、与えられた制約条件(原価、重量、生産制約など)で、どう実現するかを検討し尽くした後でないと図面を描かないのがトヨタだ。つまり、無駄なことは一切しないのである。
製品企画フェーズとはMOTの「開発」に位置するものである。CEにとって、製品開発から事業化への移行段階における障壁である「死の谷」は、原価企画会議での原価目標審議、原価達成報告、原価の量産トライのフォローの3つと言えるだろう。
「事業化」は豊田喜一郎氏の時代に完了
◯ 元町工場建設フェーズ
MOTの「事業化」を事業として成立させるための種まきの段階、「産業化」を収穫の段階とすると、トヨタ製品開発システムには、MOTにおける「事業化」はないと考えられる。なぜなら、そのフェーズはトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏の時代に終わっているからだ。
トヨタ産業記念館が発行している『トヨタ喜一郎』によると、1933年に豊田自動織機製作所内に自動車部を設置した時からの歴史が「事業化」を指す。
1935年 A1型乗用車試作完成、G1型トラック第1号完成(A1型は3台のみ、G1型は故障続出)
1936年 国産トヨダ大衆車AA型完成(自動車製造事業法公布、認定)
1937年 トヨタ自動車工業株式会社設立 副社長就任
1938年 挙母(元町)工場竣工
1947年 SA型小型乗用車(トヨペット)生産開始
1952年 豊田喜一郎逝去
1955年 国産大衆乗用車クラウン発表
豊田喜一郎氏がまさに命をかけて国産自動車ビジネスの事業化に成功し、有形資産として挙母(元町)工場という大衆車一貫製造の生産工場を残してくれているのである。
◯ 量産・販売フェーズ
CEはプレスリリースチェック、カタログチェックやテレビコマーシャルにも関与する。北川氏はCEチームとしてテレビコマーシャルのコンペにも参加し、3社の広告代理店と競った。残念ながらコンペには負けたようだが、広告代理店の競争心に火を付けたという。
また、チューニングカーやカスタムカーの祭典とも呼ばれる東京オートサロンにも参加している。まさに、第8回で紹介した北川氏のCE17カ条のうち、第9条、15条を実践している。
第9条 CEは自分の商品をどう売るかを営業任せにするな、自分なりに宣伝、売り方を考えよ。
第15条 CEはもっとも強力な新市場開拓の営業マン、積極的に新市場に出かけよ。
MOTの「事業化」を新事業の創造と考えると、国産自動車という新事業は、初代主査(CE)である中村健也氏が生み出したクラウンにより「事業化」が完了したと言える。その後、主査制度を考案した長谷川龍雄氏が手掛けたカローラなどが続き、国産自動車は「産業化」されていったのである。
ちなみに、トヨタ自動車の公式サイト「トヨタ自動車75年史」によると、クラウンの開発が始まったのは、豊田喜一郎の社長復帰が決まった1952(昭和27)年1月のことだという。開発責任者には車体部次長の中村健也氏が任命され、新型乗用車は小型車の寸法規格内で最大のサイズとされ、板金試作車モデルの製作が進められた。車両型式はRS型、車名はすでに豊田喜一郎氏の発案で「クラウン」と決定していた。
しかし、その製作に取りかかった矢先の1952年3月27日、豊田喜一郎氏が突然この世を去る。本格的な乗用車の開発は、喜一郎氏が長年温めてきた構想で、それがようやく実現に向けて動き出した直後の出来事だったため、開発陣の落胆は計り知れないものだったという。
MOTの「事業化」を新しい車種を市場に投入し、黒字化するまでのプロセスとするならば、新車販売の立ち上げを「事業化」と位置付けることができる。しかし、トヨタ製品開発システムは完成度が高く、世界同時生産・供給を実現している。つまり、「事業化」と「産業化」が一体となっており、MOTにおける「事業化」という独立したフェーズは存在しないとも言えるのだ。
そのため、本稿では豊田喜一郎氏が新事業に取り組み、クラウンが市場に受け入れられるまでを「事業化」とし、それ以降を「産業化」と定義した。つまり、「0を1」にすることを「事業化」、「1を10」にしていくことを「産業化」と位置付けた。コーポレートブランドやプロダクトブランドが確立した既存事業の中で、新商品を生み出すことと、新事業を生み出すために新商品を生み出すことでは、不確実性があまりにも違い過ぎるからだ。
本連載で紹介している価値創造システムは、「新事業を生み出せない会社は必ず衰退する」という経営の原理原則を前提にしている。トヨタ自動車を生み出した豊田自動織機の繊維機械部門の売上比率は、現在3%を切っている。もし、豊田喜一郎氏が国産自動車という新事業に挑戦せず、繊維機械の新商品開発だけを続けていたならば、同社のビジネスは衰退していただろう。この原則は、トヨタだけでなく、日本の全ての企業に当てはまるのである。
次回は創造性組織工学(Creative Organized Technology)のプロセスを比較してみよう。
サムネイル写真提供:NurPhoto/共同通信イメージズ

