富士フイルム イメージングソリューション事業部 コンシューマーイメージンググループ 統括マネージャー 高井隆一郎氏(撮影:本永創太)

 デジタル全盛の時代に販売累計8000万台を突破し、2023年度も過去最高の売上高を更新している富士フイルムの「チェキ」。さらに成長を遂げるため、同社では商品ラインアップ、ビジネス領域の拡大を進める。攻めの戦略を貫くために必要だったブランドフィロソフィーの再定義と、写真プリントの価値を高める商品企画の裏側を、事業を統括する高井隆一郎氏に聞いた。(後編/全2回)

チェキのブランド価値を世界共通で再定義

 2010年代、一般の人の間では「写真はスマホで撮るもの」という習慣が定着した。その中にあっても、富士フイルムの「チェキ」(instax)事業は、ブライダルや観光地などの盤石な需要をベースにして、熱心なコンシューマー層のファンの拡大によって、事業を成長させていた。高井隆一郎氏が率いる同社のコンシューマー向けイメージング事業部門は、2018年以降、チェキの市場価値をもう1段階高めるために「グローバルブランディング」に取り組んだ。

「ブランディングの作業は、非常に丁寧に進めました。その結果導き出されたのが『とるだけじゃない、あげたいから(don't just take, give.)』という言葉に集約されるブランドフィロソフィーです。チェキが大切にしているのは、撮るだけではない、伝えることだというメッセージを、ストレートに伝えるタグラインを生み出しました」(高井氏)

 前編でも紹介した、チェキが持っている写真プリントをその場で出せる価値を、『写真に思いを込めて渡す(=伝える)』と表現している。

 このタグラインを世界同時に展開し、共通の価値観の浸透を図っていった。現地の言葉でどう伝えるかは、現地の判断に任せた。このブランディング作業は、社外(ユーザー向け)だけでなく、社内に対しても行うことが非常に必要だったと、高井氏は言う。

「本社から各地の拠点に、ただ、こういうメッセージでいくからと伝えただけでは、各国で『うちにはうちのやり方がある』となってしまいます。特に、社内のブランディングをしっかりやらなければいけないと思っていました。そのため、各国の担当者に腹落ちしてもらうまで、何度でも説明を繰り返しました」

 チェキの存在価値を定義した上で、実際の商品企画にもその価値観を反映させていった。チェキは、コンパクトなサイズに富士フイルムの写真技術を集約した製品であり、映し出される写真の品質、経年変化の小ささなどには自信を持っている。ただ、チェキのプリントには、プロ向けやハイアマチュア向けのデジタルカメラが備えている忠実な写真の写りとは異なる、独特な味わいが存在する。写真の定義が変わったと、高井氏は言う。

「私が入社した当時の当社では、写真とは綺麗で失敗なく撮れることが正解だという考え方が一般的でした。しかし、チェキの事業に関わるようになって、ユーザーとの対話を重ねていると、写真の楽しみ方、善し悪しというのは一人一人全く違っていて、絶対的な尺度は存在しないということが分かりました」

 当然、イメージング事業の中で、プロフェッショナル向けとコンシューマー向けとでは、写真に対する価値のポイントは全く異なる。さらに、コンシューマーイメージング事業の中でも、instaxチェキ事業は、同社のミラーレスカメラ事業とユーザー層も異なり、チェキは初号機のコンセプトである「手軽でシンプル、簡単」を基本的に踏襲した商品企画が進められている。これらは、どちらがよいということではなく、それぞれを支持するユーザーが付いている。

 むしろ、チェキの商品ラインアップの中で、それぞれの商品ジャンルの好みはシャープに分かれているという。「現在、チェキは、ミニ、ワイド、スクエアの3タイプのフィルムフォーマットに分かれていて、それぞれ対応するカメラが異なりますが、各フォーマットに熱烈なファン層が存在しており、各グループが『これこそチェキ』という主張で火花を散らすこともあるようです」(高井氏)。そのため、商品のマーケティングは各フォーマットのファンを想定して別々に進めている。チェキファンの熱量を感じる話である。

たどり着いた「写真の楽しみは人それぞれ」という答え

 さらに新機軸の商品も登場している。写真をデジタルデータとして記録する、いわゆる普通のデジカメに、チェキのプリンターを内蔵した「ハイブリッドモデル」だ。そういう機能もありかな、といえるモデルだが、この商品の企画時には、社内で相当な議論が交わされたという。

instax mini Evo

「スマホプリンター機能を搭載したハイブリッドモデルの初号機は2019年に発売しましたが、この機種の企画時、社内では、デジカメにプリンターを付けたら『それはチェキではない。邪道だ』という、一部の強い意見がありました。アナログの魅力を伝えるのがチェキだから、デジカメはチェキではない、という主張です」

 しかし高井氏は、「写真の楽しみ方は人それぞれ」という持論を丁寧に説明し、社内を説得。商品化の決定が下される。「従来のアナログチェキを使うユーザーは、どんな写真が出てくるかを楽しみながら待つことも、自身のユーザー体験に含まれています。一方、ハイブリッド機のユーザーは、絶対にプリントで失敗したくないから、成功した写真だけをプリントします。この両者は全く被らないため、ラインアップを拡大してもマイナスの影響はありません」。

 こうした、写真の楽しみ方を増やすという考え方で、出てきた別角度の製品が「instax Pal」という超小型デジタルカメラだ。ピンポン球程度のサイズで、液晶画面もない。撮った画像はスマホで確認する。これは、ペットの目線で写真を撮ってプリントするユーザーなどからも人気だという。

 ただし、あれもこれもと機能と商品を追加していたら、収拾が付かなくなる。チェキが守っている商品性の本質とは何だろうか。

「商品企画の段階では、いろいろやりたいことが出てきて、いったんは機能がてんこ盛りになりますが、そこからバッサリと切り落として、最終的にはシンプルにまとめます。特にデジタルデバイスは、多機能になればなるほど、チェキの良さを奪ってしまうと考えているので、注意しています。その代わり、デジタルカメラでは必要のないレバー操作をあえて求める構造にするなど、ギミックを多く入れています。これには、被写体と丁寧に向き合って、特別なチェキプリントをつくり出す作業も楽しんでもらいたいという意図を込めています」(高井氏)

 こうした商品企画のベースになるのが、入念なユーザー調査だ。先ほどのプリントフォーマットごとの嗜好(しこう)の違いなども、この調査から見えてきた。「調査は定量、定性を組み合わせて頻繁に実施します。ユニークなものでは、『チェキを使わない人』だけを集めたグループインタビューも行っています。これは、インタビューを仕切る担当者にとって、『地獄の1時間』とも呼ばれています」と高井氏は笑う。

「使わない人」のインタビューでは、「こんなもの(=チェキ)必要ない」「スマホで十分」など、散々な意見が大半を占める。商品企画には役に立ちそうもないが、なぜ続けているのか。高井氏は「チェキは世の中ではスマホの普及と比べるとまだまだニッチな商品で、コアなユーザーの声だけを聞いていると、考え方が偏ってしまいます。多面的な調査で、不要と答える人の意見も聞く勇気が必要です。それと、いろいろ聞いていくと、たまに『こうなれば使いたい』のような話が出てくることがあります。それはお宝情報で、新しいユーザー発掘のヒントになります」と話す。

 また、面白いのは、商品ラインアップは全世界共通ということだ。国や地域によって特別な機種を開発することはないという。これも各国の調査の結果、導き出した結論だ。

企業とファンとの交流を「写真プリント」が盛り上げる

 若者を中心にしたコンシューマー市場で順調に成長するチェキ事業だが、高井氏のチームが今後の事業拡大に向けて取り組みを始めているのが、チェキのコミュニケーションツールとしての力を、企業のマーケティングに生かすビジネスである。専用アプリの「instax Biz」を提供し、すでにグローバルに展開している。

「レストランや音楽イベント、スポーツクラブチームなど、お客さまと店舗、アーティスト、チームとの交流に、チェキの写真プリントを有効に使っていただくことを狙っています」(高井氏)

 専用アプリからチェキプリンターで出力したチェキプリントに、PRしたいコピーを重ねたり、QRコードを焼き込んで、そのリンク先でさまざまな情報を発信することができる。チェキプリントの特別感に、マーケティング機能を載せることで、非常に高いコンバージョン(リンク先へのアクセス)が得られるという。すでにプロスポーツのチームやゲーム会社など、コラボレーションも広がっている。

「ブランドフィロソフィーである『とるだけじゃない、あげたいから。』は、個人間だけでなく、企業と個人のコミュニケーションにも力を発揮します。マーケティング分野でも、チェキプリントはキラーコンテンツになると考えています」と高井氏は語った。

 デジタル全盛の時代に、アナログ製品がブームになることは多い。だが、富士フイルムにおけるチェキ(instax)事業は、一時的なアナログ回帰、レトロ趣味とは一線を画す。企業のDNAである写真技術に裏打ちされた、プリントの質感を信じるブレない軸を持っている。そしてその素材の価値を、緻密なブランディングとマーケティングによって、現在の成功につなげているのである。

【前編】累計8000万台突破し富士フイルムの“稼ぎ頭”に デジカメ、スマホの大激流に「チェキ」が飲み込まれなかった理由
■【後編】使わない人への“地獄のインタビュー”もいとわない 富士フイルム「チェキ」が貫く攻めのビジネス戦略 ※本稿

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