ファナック FA研究開発統括本部 本部長の野田浩氏(撮影:川口紘)

 1972年に富士通の一部門が独立して誕生したファナック(当時は富士通ファナック)。それから50年以上が経ち、同社は工作機械用のCNC(コンピュータ数値制御)装置で国内・海外でトップクラスのシェアを保持する企業となった。どのような道のりで技術力を積み重ねてきたのか。何が同社の競争力を生んだのか。ファナック FA研究開発統括本部長の野田浩氏に尋ねた。(後編/全2回)

本稿は「Japan Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2024年8月30日)※内容は掲載当時のもの

富士通の歴史に刻まれるプロジェクトがファナックの源流

 ファナックのルーツは、富士通のNC部門にある。NCとは「数値制御」のことで、簡単に言えば、それまで職人が手動で制御していた工作機械を電子制御に置き換える技術だ。それが発展し、現在はコンピュータによって制御を行うCNC(コンピュータ数値制御)が普及している(詳しくは前編参照)。

 NCの考え方が出てきたのは1952年にまでさかのぼる。アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で試作された「NCフライス盤」がその始まりとされる。

 それから3年後の1955年、富士通(当時の富士通信機製造)に「コントロール」をテーマにしたプロジェクトが発足した。これが17年後のファナック誕生につながっていく。

 当時、富士通ではこれからの時代を担う事業として「コミュニケーション」「コンピュータ」「コントロール」を掲げた。そうして、これら3つを推進するプロジェクトを立ち上げた。「コンピュータ」では、後に日本のコンピュータ開発をけん引する池田敏雄氏がリーダーを務めるなど、富士通の歴史においても重要な取り組みに位置付けられている。

 この時「コントロール」のリーダーに指名されたのが、後にファナックの実質的創業者となった故・稲葉清右衛門氏だった。「コントロールといってもどのような事業を手掛けるか決まっていたわけではなく、まずは何をすべきか模索するところから始まったようです」(野田氏、以下同)。

ファナックの実質的創業者となった故・稲葉清右衛門氏(提供:ファナック)

 その中で稲葉氏が目にしたMITのレポートに、NCに関する記述があったという。そしてこれを「コントロール」プロジェクトの軸に据えた。「ただし当時はMITレポートの他にNCの資料がほとんどなく、根本となる技術を自分たちで考えるしかなかったといわれています」。プロジェクトのもとに集まった機械と電気の技術者が試行錯誤する日々が続いた。

 そうして1956年に民間企業として日本で初めてNC装置を開発、1958年には富士通と牧野フライス製作所が共同でNCフライス盤を製造して大阪国際見本市に出品した。「これが日本初の商用NC工作機械と位置付けられています」。その後、1960年代、1970年代と富士通のNC事業は発展していった。

日本で最初のNC装置(右側)とタレットパンチプレス(左側)(提供:ファナック)

なぜ日本ではアメリカを超えるNC化が起きたのか

 日本の工場でNC(CNC)が普及していった理由は、工作機械の性能に大きく関わるからに他ならない。そもそも工作機械とは、金属の材料を切削・研削するなどして、必要な形状に作り上げる機械だ。製造現場に用いられる機械や装置の部品も工作機械で作られる。それらはいわば「機械を作る機械」であり、マザーマシンとも呼ばれる。

提供:ファナック
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「工業生産物としての機械や部品は、それを作り出すマザーマシンの精度を超えることができないといえます。つまり強いものづくりの背後には強い工作機械が必要であり、その精度向上に関わるNCが重視されてきました」

 とりわけ日本では、1970年代に工作機械のNC化が進んだ。発祥のアメリカと比較しても、この時期にNC化率で大きな差をつけている。

 理由として、アメリカでは工作機械メーカーが自らNCを開発した。そのため「作られたNCはあくまで自社製品用にとどまり、規模を広げて汎用的に普及しにくい状況でした」という。一方、日本でNC開発を担ったのは主に電機メーカーであり、工作機械メーカーは工作機械の本体開発に注力した。“分業”になったといえる。その結果「日本のNCは民生用として汎用性を持ち、さまざまな工作機械に搭載されました。こうして広く普及していったのです」。

 そんな中、富士通のNC部門から独立する形で富士通ファナック(現ファナック)が1972年に設立された。1976年には初めてマイクロプロセッサ(8ビットM6800)を採用した汎用CNCを発表。1979年にはインテル製の16ビットマイクロプロセッサ(i8086)を採用したCNCを開発した。インテルがi8086を発表したのは前年であり、すぐさま同社のCNCに導入されたことが分かる。

 その後、前編で触れた「信頼性への挑戦」などを通して、事業を拡大していったファナック。あわせて「カスタマイズ機能の強化」も進めた。それが支持を得ていったという。

「CNCが普及するにつれ、お客さまからそれぞれの工作機械特有の機能の実装を要望されるようになりました。各工作機械のCNCに個別機能を作り込むということです。しかし当社の出荷台数が増える中、個別の要望全てに応えるのは現実的ではありません。そこでファナックが標準的な機能を作り、個別機能などの最終的な作り込みは機械メーカーで行えるよう、カスタマイズできる仕組みを実装しました」

 この仕様は高く評価され、その後のCNC開発にも影響を与えることになった。実際に、上記の考えを継承して1985年に発表した新商品FANUC 0シリーズはベストセラーに。出荷後10年間で累積出荷台数約28万台という、当時では類を見ない売れ行きとなった。

ファナックが技術を高めることができた理由はどこに

 これ以降もCNCの進化を追求し、現在は国内・海外でトップクラスのシェアを保持している。なぜファナックはこの領域で技術を高めることができたのか。その理由は会社の文化や歴史にあるのか、制度にあるのか。この問いに対し、「CNCという狭い領域に継続的に投資できた点に尽きます」と野田氏はいう。

「CNCメーカーとして多くのお客さまに採用された結果、世界一の台数を出荷し、CNCという狭い領域に継続的に投資することができました。これにより、一般的な機構をCNCに流用するのではなく、CNCに最適なアーキテクチャをコストをかけてでも当初から採用することができます。また、一般部品の積み上げでは実現できない信頼性も作り込んでいます。当たり前の話かもしれませんが、CNCで得た利益をまた開発へと投資できていることが一番大きいと考えています」

 一例として、ある時正確で高速なサーボ機構を実現するために、ミリ秒単位の厳密な時間管理が可能な高速ネットワークが必要になった。サーボ機構とは、CNCが出した指令に対し、その通りの動きを工作機械で再現するモータやアンプなどのこと。CNCが“頭脳”なら、サーボ機構は“身体”となる。ファナックではサーボ機構も自社開発している。

 当時、同社の求める高速ネットワークについて市場に適切な技術がなかった。そこで半導体メーカーと協力し、同社システム用の高速通信技術を完成させたという。狭い領域への集中した投資を示す一端といえる。

 野田氏によれば、CNCの性能や精度は「すでにかなりの水準に来ています」とのこと。もちろんこの点も今後強化していくが、近年はそれらに加えて、IoTやAI、デジタル技術、ロボット技術を組み合わせた新しいCNCシステムの提案を行っている。デジタルツインもその一つだ。

 同社のデジタルツインでは「CNCシミュレータ」をはじめとする技術により、実際のCNCと同じ動作をデジタル空間で実現する。これにより、加工時間の予測やCNC機能の効果、プログラムの検証などをデジタルで行える。対象の工作機械によってどのような加工面になるかもシミュレーションで推定できる。

 ただし、CNCシミュレータのみでは「機械がCNCの指示通り正確に動いた場合」の結果となる。だが実際の工作機械は、それぞれに動きの特徴や癖がある(前編参照)。それらも踏まえなければ、本当の意味でリアルなシミュレーションにならない。

 前編で触れた通り、同社は工作機械ごとの動的な特徴をデータ化し、その工作機械に適した調整をCNCが自動的に行う技術を培ってきた。それを発展させ、実際の工作機械の動的特徴をデータ化したモデル(サーボモデル)をデジタル空間に構築することを可能にしたという。「これにより、実際の機械の特徴に基づくシミュレーションを行うことができ、デジタルツインの世界が大きく進歩しました」と話す。

 これからのCNCは、加工の性能と機能に加え、複雑化する工作機械の制御を簡単にすることや、加工プロセス全体を最適化することが重要になると野田氏は考える。ファナックが目指す次の目標といえるだろう。