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物流と地球社会を持続可能にするために、今何が必要なのか。デジタル先端技術から経営戦略まで、世の誤解・曲解・珍解を物流ジャーナリスト・菊田一郎氏が妄想力で切りさばく連載企画。
第7回からは3回にわたり、物流の持続可能性を左右し、待ったなしの対策を迫られる人手不足の問題について考える。その③となる今回は、生産性の高い組織を作るために最も重要な「心理的安全性」について解説する。
思ったことを口にできない職場?
「物流で働く人と仕事の需給逆転」が進行し、人手の供給不足傾向が日に日に強まっている。物流という死活的に重要な社会インフラの持続可能性を死守するため、何が必要なのかを考える本シリーズの最後に、今回は「人材の定着率向上・離職率の低減」に有効なもう1つの視点を紹介する。
「チームの心理的安全性(サイコロジカル・セーフティー)」という概念を最初に提唱したのは、ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授である。1999年の論文で、「このチームでは対人関係でリスクのある行動をしても安全であるという、チームメンバーによって共有された考え」と定義された。一般にはこれを平たく敷衍(ふえん)し、
*チームの誰もが、非難される不安を感じることなく、自分の考えや気持ちを率直に発言できる状態
*その上で自分の考えに従い、行動に移せる環境
等と理解されている。
私が物流分野に向けてこの概念の重要さを初めて紹介したのは2022年のこと(注1)だが、「物流2024問題」の認知が進んだおかげで、今ではより切実に感じられるようになったのではないかと思う(この点は後に詳述する)。
(注1)菊田コラム、「菊田の眼」(24)、2022/6/1付日本海事新聞
https://www.jmd.co.jp/article.php?no=277816
逆に心理的安全性を損なう要因として、エドモンドソン教授は、①無知だと思われる不安、②無能だと思われる不安、③邪魔をしていると思われる不安、④ネガティブだと思われる不安――の4つを示している。
こんな不安だらけでビクビクして、思ったことを口にできない環境、雰囲気、空気。同僚やリーダー、上司に都度忖度(そんたく)し、遠慮しながらでなければ発言ひとつできない会議……思い当たるフシのある方も多いのではないだろうか?
グーグルの「アリストテレス」プロジェクト
「心理的安全性」の概念を一躍有名にしたのは、グーグルが2012年に開始し、4年の歳月と数百万ドルを費やして完遂した労働改革プロジェクト「アリストテレス」だったという。その目的は「生産性の高いチームの条件は何か?」という問いに答えを見つけ出すことだった。
「Google re:Work(リワーク)」という人事施策共有サイトにその成果が今も無料公開されているので参照されたい(注2)。
(注2)「効果的なチームとは何か」を知る(Google re:Work-ガイド)
https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/steps/define-team/
同社リサーチチームは複数の統計モデルを駆使し、収集した大量のデータ項目のうち、どんな要素がチームの効果性に影響を与えているのかを追究。その結果、真に重要なのは「誰がチームのメンバーであるか」(=人)よりも、「チームがどのように協力しているか」(=関係・環境)であることを突き止めた。解析された影響因子を重要な順に示すと以下のようになる(図表1)。
図表1 心理的安全性の5ステップ
(出所)Google re:Work記事より引用拡大画像表示
①サイコロジカル・セーフティー(心理的安全性)
②相互信頼
③構造と明確さ
④仕事の意味
⑤インパクト
図のように5項目のどれもが満たされたチームを想像してほしい。誰だって、「どうせ仕事をするなら、こんなチームで働きたいな」と思うのではないだろうか? そしてこの5項目の中でも圧倒的に重要だったのが、「心理的安全性」だと結論されたのである。
心理的安全性の高いチームのメンバーは、
*グーグルからの離職率が低く、
*他のチームメンバーが発案した多様なアイデアをうまく利用でき、
*収益性が高く、
*「効果的に働く」とマネージャーから評価される機会が2倍も多かった
……というのだ。一言で言えば、「心理的安全性の高いチームは、信頼の絆で結ばれ、より生産性の高い仕事をこなし、収益拡大により貢献する」とまとめていいだろう。
心理的安全領域を企業内から企業間まで拡張
さて理想のチームの人間関係、職場環境をイメージできたなら、次になすべきは、それを足元の私たちの現実につなぎ、変革の方向と手順を具体化することである。あるべき姿と現実を正視し、To-Be(理想)とAs-Is(現実)のギャップを計り、変革のステップを練る……この手順は、筆者が常々うるさく繰り返す「ムーンショット実現に向けたバックキャスト戦略思考」と同一だ。
具体的実務は各主体に委ねる他ないが、私がこうして「物流に係る現場・職場に心理的安全性を!」と叫び続ける理由はもちろん、「心理的安全性の高い物流現場・職場はまだ、少ないのではないか」と危惧しているからだ。
例えば物流センター、倉庫の現場を想起しよう。ワーカーは大半が非正規従業員で、社員の班長、リーダー、センター長が指揮する。パート、アルバイト、派遣社員たちは当然のように、社員の指示に従って働いている。
ところが実務を担うこの人たちは、上司の指示の矛盾や不適切さを、驚くほど鋭く、肌感覚で見抜いてしまうことがある。一家の家計を切り盛りし、子どものお迎えや食事の準備まで作業手順のスケジューリング・最適化を日々考え抜いている主婦・主夫であれば、今日のチームの作業生産性にまで容易に配慮が届いてしまうからだ。
「このままじゃ効率が落ちる、リーダーに言わなきゃ」――そう思った時、これを口にし、改善提案に向け行動することが許され、推奨される現場であるのか否か。つまり現場に、それだけの「心理的安全性」が確保されているのかが、問われるということだ。
非正規従業員と社員の関係に限った話ではない。班長・リーダーからセンター長へ、センター長から部長へ、あるいは部長から本部長、社長への進言であっても、全て同様である。同じ会議や打ち合わせに参加する上下左右の関係者はその時、1つのチームとして機能するはずだ。
筆者はこれをさらに一段拡大解釈し、「企業間取引関係」にまで「心理的安全性の必要領域」を拡張しよう、と提案してきた。それが「物流2024年問題」解決の1つの切り口になると思うからだ。
多くの物流企業は荷主・元請けの下請け、孫請け、玄孫(やしゃご)請け……と続く多重的かつ強固な上下関係のもと、「非難される不安を感じることなく、自分の考えや気持ちを率直に発言できる状態」からは悲しいほど遠い、商慣行に縛り付けられてきたのではなかったか?
以前、ある物流事業統括者が私にこうボヤいた。「先だって、荷主の物量が予告の3倍に突然増えたので、そりゃないですよ、と反応したら、『それを運ぶのがプロだろうが!!』と荷主に一喝されて終わりでした……」。
これで物流を持続可能にできるわけがない。「物流2024年問題」の本質的解決に向け、荷主と物流のワンチームの中で「心理的安全性」を確立し、物流側が思ったことを言え、改善に向けて荷主と共に行動できる環境を整えること。前回コラムの結論と同じく、何より荷主の経営者・責任者が本気で「そうだ。そうすべきだ」と思って行動に移せるだけの、高潔な人格を陶冶すること。それが私の提案である。
だが現実には、戦中以来の「上意下達」の組織慣行が、戦後も昭和、平成の実業界まで黙々と引き継がれ、令和の今なおしぶとく企業統治に暗い影を投げ続けてきたのではないか、というのが私の歴史的見立てである。
近年の大手各社の不祥事を見るがいい。現場が「思ったことを言えない」環境、雰囲気に支配されていたことは明らかに思える。「王様は裸だ!」とは決して言えない、厚く重たい「空気」に。
「リーダーは部下が選ぶ」安心に満ちた驚きの物流現場
心理的安全性の低い職場は、そうでない職場に比べて定着率が低く・離職率が高い――というのがグーグルの検証結果だった。エンゲージメント、モチベーションも低空飛行で、せっかく高いコストをかけて採った従業員が早々に退職してしまえば、また費用をかけて求人・教育を繰り返さねばならない。
前回触れた通り、辞めた従業員にSNSでディスられる「レピュテーションリスク」まで覚悟せねばならない時代である。
「じゃ、どうすりゃいいんだよ!」……そんな声が聞こえてきそうだ。ならば、よし。筆者の最新取材成果から、見事にこの課題を乗り越えた中堅物流会社の実例を紹介しよう。
<問題解決事例/スミレ・ジョイント・ロジ>
スミレ・ジョイント・ロジ(https://www.sumire-joint-logi.co.jp/)は、埼玉県草加市に本社を置く総合物流企業。山口耕平社長は一介のドライバーから身を起こし、勤めていた運送会社が倒産の危機に陥った1998年、株主と交渉してコンビニで下ろした10万円で会社を買い取り、再起チャレンジを開始したという異例の経緯を持つ。
山口耕平社長(以下、写真は同社提供)
経営者となって倉庫事業に転換し、苦心の末にB2BからECのB2C出荷物流業務(ピッキング・仕分け・梱包・発送管理) へと事業を広げ、以後は順調に発展してきた。
将来の労働人口減少・人手不足傾向を察知し、2017年から自動化機器の導入を開始。各種自動梱包機・製函機・オートラベラからデジタルアソートシステムまでを各センターに次々に採用している。
自動梱包機e-Cube
シュリンク包装機
筆者は昨年、最新自動仕分けロボット導入を機に開かれた見学会に訪れて山口社長にインタビューし、働く人を大切にする考え方がその原点にあったことに感銘、先月の筆者企画対談ウェビナのゲストにお招きし、後日さらに詳しい話を聞いたところである。
ロボット自動仕分け機・オムニソーター外観
ロボット自動仕分け機・オムニソーター内部
山口社長は「弊社で行う安心づくり」策として以下を挙げていたのだが、驚くことにその独創的経営方式は、本テーマ「安心して働ける職場環境」実現への王道的具体策そのものだった。以下に要約して紹介する。
① 財務情報開示
社員に財務情報を開示し、給与・コスト他、数字に関する疑いを駆逐。「数字を教えずして数字を求めない」姿勢なのだ。社員は失敗の対価を知り、将来を読み先手で動けるようになる。
② 月例戦略会議で「推薦制」導入
「現場にとっての良い人と、経営者や上長にとっての良い人は違う」との考え方から、「リーダーは部下が投票(過半数で信任)で決める」という驚きの制度に。まるで古代ギリシャ・ローマ時代の直接民主政体である。「挑戦や失敗をさせるがとがめない」「解雇はしない、適材適所を知り雇用で調整」「部下は見上げる、見下さない」の基本方針も、なんと秀逸なことか!
③ 全センターで週1定例「集団問題解決会議」(Group Problem Solving)
「不満や不安は現場から/人間関係のこじれはコミュニケーションの誤解から」「人に罪はない、環境に問題がある」との基本認識で毎週、問題解決会議を実施。「自分で決めた方が行動に反映されやすい」ので自主的行動・問題提起を奨励。ブレーンストーミングも励行し、経営層はメンバーがコミュニケーションを取りやすい環境や風土つくりに努力している。
──こうした環境の中で自動化を積極推進する山口社長は、「自動化は人が要です」と言い切る。「部下と上司が同じ目線で考え、一緒に問題を解決する」中で「考える人財」が育つ。そのためにこそ、以上の施策で「安心の環境」を作ることを最重要視しているのだ。
* * * * * * *
……以上、山口社長の言う「安心の環境」とは、「心理的安全性に満ちた環境」そのものではないか。同社は年商25億円レベルの中堅倉庫事業者である。この規模の中小・中堅企業であっても、ここまで自動化を推進し、ここまで働く人を大切にする職場・現場環境を実現できている。それも「経営者の人格」のなせる業であれば、容易にマネられるものではないとしても、謙虚に学ぶことはできるはずだ。
「ウチにそんなこと、できるわけがない、妄想だ!」との反論もあろうか? だが今後も日本の物流現場が「旧態依然・変われない」ままだとしたら、働く人に見放され、持続可能とは思えない。もはや様子見をしている場合ではない。まずあなたが決断し、1人であっても立ち上がり、行動を開始する時ではないだろうか。
