アイ・エム・エス・ジャパン株式会社
プリンシパル(中小企業診断士/薬剤師)
松井信智 氏
――IMSが解析を行う匿名化された医療ビッグデータには、どのような種類があるのでしょうか。
松井 大きく2つあります。1つは、処方された薬剤の種類や処方日数、用量などを記録した「調剤レセプトデータ」で、およそ2800の調剤薬局からの提供を受け、蓄積しています。もう1つは、患者の疾病情報、臨床検査値などを含む「DPC病院データ」です。当社はこれらを「リアルワールド・データ」と呼び、集計・分析した結果を医薬品業界へのコンサルティングに活用しています。患者が抱える症状をよりよくコントロールし、生活の質を高めるような医薬品開発を実現してもらうことが狙いです。
――院内、院外からのデータを活用しているのですね。実際のところ、そうしたリアルワールド・データの活用は進んでいますか。
松井 ここ数年、製薬企業を中心にリアルワールド・データの活用が急速に進んでいます。レセプトやカルテの電子化が進んだほか、ICTの高度化により専門知識がなくても膨大なデータを手軽に分析できる環境が整ってきたことが理由として挙げられます。次世代医療ICT基盤協議会を設置するなど、政府が医療情報の収集/利活用に力を入れているという背景もあります。
――具体的な用途を教えてください。
図1 医療ビッグデータの全体図
松井 臨床現場における課題を明確化し、医師や薬剤師、製薬企業といった医療に携わる関係者がその課題に対する具体的な改善策を検討する材料になっています。現状を詳細に把握することにより、医療を最適化する一助になっているということです。ここでは、製薬企業における活用例をご紹介しましょう。
製薬企業は従来から、「自社医薬品の処方実態の確認」にリアルワールド・データを活用してきました。それに加えて近年、「アンメット・メディカルニーズ(治療法が見つかっていない疾患に対する医療ニーズ)」の可視化やエビデンス構築にリアルワールド・データを生かそうという動きが広がっています。例えば糖尿病だと、処方された薬剤の種類や併用数、臨床検査値、年齢層やBMI値といったデータを組み合わせて分析することにより、「血糖値がコントロールできず重症化しているのはどのような患者か」を可視化します。こうして患者像を特定することにより、新薬開発の余地を探れるわけです。
服薬継続性の向上策を検討する際の基礎データとしての役割も期待されています。薬剤は、用法・用量を守って継続的に服用してこそ効果を発揮します。このため、患者の服薬継続性をいかに向上させるかは、製薬企業にとって大きな課題です。しかし実際には、「仕事が忙しい」「飲みにくい」といった理由で服用を忘れてしまったり、中断してしまうケースは少なくありません。リアルワールド・データを分析することにより、どうすれば服薬継続性を高められるかを考えるヒントを見出せます。具体的には、薬剤の処方日や処方日数から算出した服薬コンプライアンス率と、患者の属性情報を組み合わせて分析。服薬コンプライアンスの悪い患者像を特定するとともに、なぜそうした状況が生まれているかを探ります。例えば、注射薬を処方されている40代の糖尿病患者の服薬継続性が低い場合、「勤務時間中に薬剤を注射するのがわずらわしいのではないか」といった推論を立てます。そのうえで、「注射薬から経口薬へと薬剤の形状を変更すれば、服用時の負担が減って継続性が高まるのではないか」といった仮説を構築し、検証するといったことです。
製薬企業にとってリアルワールド・データは、薬剤の安全性を担保するうえでも欠かせないものになりつつあります。併用すべきでない薬剤の組み合わせや、症例によっては過剰投与となり得る用量といったケースを発見できるからです。そうした治療実態を把握した上でMRが適切な情報を医師に提供することで、自社製品の適正使用を促進できます。つまり、患者が抱える様々な疾病に対する薬剤の効果を最大化できるわけです。
――今後、リアルワールド・データの活用はどのように進展していくでしょうか。
松井 医療従事者および健康保険組合等が、最適な医療提供体制の検討に役立てるといった用途が増加していき、結果として患者が最適な治療を受けることが進んでいくと想定しています。こうした流れに合わせて当社は、分析するデータの種類や分析のノウハウを強化しています。例えば最近では、米国の健保データや電子カルテを分析する手法を構築し、その解析ツールを開発したり、健康保険組合向けのデータヘルス用解析ツールを提供したりしました。
さらに、モバイルアプリケーション等活用の検討も進めています。調剤レセプトやDPC病院データはこれからも主要な位置を占める医療データであり続けますが、それでも分析できないことがあります。というのも、日常生活における患者の行動や自覚症状は把握できないからです。例えば、糖尿病患者の血糖値が下がらないのは薬剤が効いていないのではなく、患者の日々の食事や運動不足に原因があるのかもしれません。薬剤に何らかの不満があって、服用を継続できていないのかもしれません。そうした「背景情報」を収集し、臨床現場に生かしたい。それも、単に情報を収集するだけでなく、患者やその家族に何らかの便益を提供できる仕組みにしたい。そんな想いから、患者や医師が医療機関内で利用する「院内アプリ」と、患者が医療機関外で利用する「院外アプリ」の活用検討を、この分野で強みを持つパートナー企業とともに開始しました。
図2 院外アプリのイメージと便益例
院内アプリは、診察予約や問診票記入、アンケート回答といった機能を提供するアプリケーションサービスです。患者は各種機能を、医療機関に備え付けのタブレット端末を使って利用します。このようなアプリケーションをすでに導入しているクリニックも多く、ここで収集される患者背景/マインドは最適な医療提供のための有益な情報になり得ます。
院外アプリは主に、患者が身に付けた活動量計や体組成計の測定結果を自動で反映し、歩数や睡眠時間、体重などを管理するアプリです。これに電子お薬手帳の機能も統合し、患者が自身の健康を統合的に管理できるアプリとなっていくことを期待しています。さらに今後、薬剤の錠剤やデバイスにセンサーを搭載する技術が実用期を迎えれば、患者が正しく服薬できているかを管理する機能が現実味を帯びてくるでしょう。
院内アプリ・院外アプリの普及により、患者の包括的な健康情報を患者自身やその家族、医師が共有できるインフラが整います。いわゆるPHR(Personal Health Record)の世界が実現でき、加えて、新たなインフラ上で収集した情報をこれまでのリアルワールド・データと合わせて分析することにより、これまで得られなかった知見を臨床現場にフィードバックできるようになると考えています。
事業の中核となるリアルワールド・データを、モバイルアプリケーション等の収集するデータで補完しながら医療の最適化を実現し、その成果を患者やその家族に還元していく。これが当社の描く未来像です。