皇親をとりあげるのは、はじめてである。『日本文徳天皇実録』巻八の斉衡(さいこう)三年(八五六)九月癸丑条(十三日)は、春枝(はるえ)王の卒伝を載せている。 春枝王の子女三人は、承和十年(八四三)に天武(てんむ)天皇後裔の六世王に対して臣籍降下が行なわれた際、高階(たかしな)真人の氏姓を賜わった。高階氏というのは、長屋(ながや)王の王子安宿(あすかべ)王が宝亀(ほうき)四年(七七三)に高階真人姓を賜わったのを初見とするが、むしろ一条(いちじょう)天皇中宮(後に皇后)の藤原定子(ていし)の外戚になるなど、後世に栄えたのは安宿王の異母弟である桑田(くわた)王の系統である。 天平(てんぴょう)元年(七