次は後世の往生伝(おうじょうでん)、あるいは『日本霊異記(にほんりょういき)』の説話のような話である。『日本文徳天皇実録』巻六の斉衡元年(八五四)四月丙辰条(二日)は、次のような橘百枝(たちばなのももえ)の卒伝を載せている。 意外なことに、橘氏の官人について述べるのははじめてであった。橘氏は、言うまでもなく六世紀の大王敏達(びたつ)の子孫が臣籍降下した氏族である。県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)が後宮における功績と藤原不比等(ふひと)の後妻として聖武(しょうむ)天皇皇后の安宿姫(あすかべひめ/光明子[こうみょうし])を産んだことにより、元明(げんめい)天皇の大嘗祭が行なわれた和銅元年(
橘氏の官人、百枝(ももえ)が八十歳まで生きられた意外な理由、その時代を反映する仏教説話
平安貴族列伝(46)
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