日本とアメリカの最初の大きな接触は、天保8年(1837)に起こったモリソン号事件であった。浦賀に来航したアメリカの商船モリソン号に対して、日本人漂流漁民の送還が目的であった。しかし、浦賀奉行所が外国船打払令に従い、砲撃を加えて退去させたのだ。 その後、弘化3年(1846)に東インド艦隊司令官ビッドルが浦賀に来航し、通商を求めたが拒否された。幕府は外国船に対して、例外なく鎖国を祖法と強弁し、長崎回航を求めていた。ペリー以前は、どの国も軋轢を回避し指示に従って退帆していたが、ペリーは断固たる信念でこれを拒否することを決めていた。 そもそも、ペリーはなぜ日本にやって来たのであろうか。当時のアメリカは