文久2年(1862)8月21日、生麦事件が勃発した。イギリスのラッセル外相は、薩摩藩に対しては、1名ないし数名のイギリス海軍士官の立会いの下にリチャードソンを殺害し、その他の者に危害を加えた犯人を裁判に付し処刑すること、被害に会った4名のイギリス人関係者に分配するため、2万5000ポンド(10万ドル)を支払うことを要求した。 この内容が幕府にもたらされたのは、文久3年(1863)2月後半のことで、幕府はその英文を福澤諭吉、高畠五郎、箕作秋坪、大築保太郎、村上英俊の5名に翻訳させた。福澤らは、誤訳などなく訳すことができた。この内容を薩摩藩に伝達することになるが、そのためには14代将軍徳川家茂の了