久光四天王の1人である堀次郎によって、島津久光の率兵上京の口実を得るため、江戸上屋敷の芝薩摩藩邸の放火という大胆な謀略が、文久元年(1861)12月7日に決行された。藩邸自焼について述べる前に、10月24日および11月12日の堀に差し立てられた急飛脚について触れておこう。