毛沢東はソ連と仲違いした時、長年にわたって途方もない予算と将兵の養成が必要な通常兵器より、短期間に決定的な抑止力を高める核・ミサイルが効果的であると認識した。そこで人民の半分が餓死してでも「両弾一星」(原・水爆と弾道ミサイル)を完遂するという決断をした。