船井総研 シニアコンサルタント 宮本 賢一 氏

 印刷のコモディティ化が進み、ネットプリントサービスが普及を続ける中、印刷単価の下落が進み続けている。そうした中でコロナ禍に直面し、業界全体として以前にも増して厳しい局面を迎えていることは間違いない。

 しかし、苦しい時にこそ、企業や業界の真価が問われるものではないだろうか。世界各国が経済回復に向けた一手を講じ始めている今だからこそ、時代に合わせた事業変革を推し進めなければならない。印刷業界ならではの回復戦略のあり方について、業界に特化したコンサルティング・サービスを提供する船井総合研究所(以下、船井総研)シニアコンサルタント 宮本賢一氏に話を聞いた。

印刷業界の復活を目指す3つのステップ

 いま、印刷業界は変革の時を迎えている。インターネットの普及によるデジタル化の影響で、印刷単価は下落。加えて、新型コロナウイルス感染拡大の影響で人々の価値観は大きく変化し、デジタル化に拍車をかけている。

 市場が縮小傾向にある中、印刷業界、特に商業印刷の分野に特化したコンサルティングを提供している宮本氏は、今の印刷業界を「かなり厳しい状況だ」と話す。

「商業印刷は、人を動かすために使われる費用です。販促費とGDPは相関関係にあり、非常に景気に左右されやすい分野。コロナ渦で人々の移動や活動が制限されている今、より一層厳しい状況にあります」(宮本氏)

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 市場の縮小に加えて人々の価値観が大きく変化している今、改めて人々のニーズの変化に合わせた業界変革をしていく必要があるだろう。宮本氏は印刷業界の回復戦略の描き方として、3つのステップを示す。

 まずは「営業・マーケティングの効率化」、次に「商材の付加価値強化・拡大」、そして「クリエイティブ価値の再考」である。

印刷業界が営業改革から着手するべき理由

 印刷業界が回復を目指す上で、宮本氏が特に乗り越えるべきだと考える課題は「営業スタイル」だ。

「印刷業界はこれまで長い間、請負型営業が一般的でした。しかし、それでは顧客のニーズを満たせない。そこで、印刷会社に対して『請負型営業から提案型営業にしていきましょう』と提案すると、『すでに提案営業をしている』という企業が多いです。しかし、実際に顧客にヒアリングをすると『うちの印刷会社は提案をしてくれない』というケースが往々にしてあります。この認識の差は、絶対に埋めていかなければなりません」(宮本氏)

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 なぜ、このようなギャップが生まれてしまっているのか。その根底にあるのが、「提案」という言葉に対する認識の違いだ。印刷会社は、紙の質やデザインなど、「より良い印刷物をつくる提案」に注力する営業マンが多い。しかし、顧客が求めているものは「売り上げを最大化させる提案」だ。

 この認識の差を埋めていくには、「少なくとも3年はかかる」と宮本氏。市況の厳しさに加えて、新型コロナウイルス感染拡大の影響を鑑みると、営業の意識改革や体制再構築、教育に3年以上かけている余裕はないだろう。何より、「売れる商材」があったとしても「売れる仕組み」が整っていなければ、より多くの顧客にサービスを提供することはできない。だからこそ、まずは「売れる仕組みづくり」を構築することが重要ということだ。

まずはデジタル上での顧客接点を増やすことから

 船井総研ではクライアント企業の社長のコミットメントを得た後、「商談数2倍」というようなKPIを設定した上で、専門部署の立ち上げを支援する。印刷業界はベテランの営業担当が多いため、従来の慣習に影響を受けすぎないよう考慮し、社長直轄の部署を立ち上げるという。

 そして、冒頭で述べた回復戦略の一つ目にあたる「営業・マーケティングの改革」に取り組んでいく。

「我々は、デジタルの力を使った営業・マーケティングの効率化を『営業DX(デジタルトランスフォーメーション)』と位置付けています。具体的には、ウェブサイトの立ち上げや、マーケティングオートメーション(MA)の導入などに取り組んでいただくケースが多いです」(宮本氏)

 このように営業の変革を促すことの重要性は、「新型コロナウイルスの感染拡大によってより一層増している」と宮本氏は話す。

 印刷業界がこれまで行ってきた請負型営業は、客先に訪問して初めてビジネスが成立していた。しかし、コロナ渦では顧客の元に訪問することができず、受注やヒアリングの機会は激減している。

 従来の営業スタイルの課題が浮き彫りになった今、顧客との接点を再度デザインし直す必要があるといえるだろう。そういった意味で、営業分野にデジタルの力を導入する重要性はますます高まっているのである。

 実際に、こうした営業の取り組みによって、状況が好転している企業もあるようだ。

 例えば、緊急事態宣言下に抗菌印刷の商材を発売した企業がある。これまでは新しい商材が出た際には、営業担当者たちが自分の顧客リストから見込みのある顧客を洗い出し、できる範囲で営業電話をかけていくスタイルだった。

 同社では、この営業プロセスを効率化するために、マーケティングオートメーション(MA)を導入。数百社にのぼる顧客リスト全てにメールで一斉アプローチをおこない、メールの開封率や、ウェブサイトへの誘致率といった反響を可視化した。それまでは営業マンが自身の経験則から営業電話をかけるかどうか判断していたが、「反響の可視化」によって、商材に興味を持っている顧客に対してコンタクトできるようになったそうだ。

 この事例からも分かるように、まずはデジタル上での顧客接点を増やしていくことは極めて重要といえる。見込み率の高い顧客を効率的に見極めること、業績の向上も期待できるだろう。また、顧客に関するデータを蓄積することができれば、顧客が接触した情報やその頻度などを分析することで、顧客理解を深めることもできる。こうした取り組みが社内に浸透すれば、顧客への提案内容やスタイルも徐々に変わっていくはずだ。

印刷業界の特性を生かした拡販アプローチ

 デジタルの力で営業・マーケティングの効率化を図った後に取り組むべきは、回復戦略の2つ目にあたる「商材の付加価値強化・拡大」だ。

 デジタルの力を使った商材の付加価値の強化を例に挙げるならば、デジタル印刷導入による「パーソナライズ」が挙げられる。また、Web to Printなどを利用したプロセスオートメーションを進めることで可能になるデータ連携サービスなどもこの付加価値拡大の後押しとなる。

 加えて、宮本氏は「印刷業界特有の強みを忘れてはならない」と話す。印刷業界の特性の一つとして「顧客数の多さ」が挙げられるが、この特性を利用して、商材の拡大をおこなっていく手もあるのだという。

 例えば、全ての顧客に対して同じ商材を提供するのではなく、より顧客のビジネスに寄り添った商材の展開が考えられる。店舗を持つ顧客が主たる得意先であれば、販促カタログやDMといった商材に留まらず、大判印刷による看板や大型バナーへの展開も検討できるだろう。EC業界の顧客であれば、キャラクターグッズ印刷やテキスタイル(ユニフォームやタオルなど)印刷などへの拡大も可能なはずだ。

 実際に、コロナ渦で業績を伸ばしている印刷会社もあるようだ。

「コロナ渦で、ネットショッピングを利用する消費者が増えました。ここで生まれるデータを活用して、『消費者の好みの傾向に合わせた商品のチラシを同封して、次の購買につなげましょう』と提案している会社もあります。EC参入を得意としている会社は、伸びているところが多いですね」(宮本氏)

 このように、自社の強みが活かせる業界を見極めたうえで、その商材を拡大していくことも次の一手となり得る。

 まずは「売れる仕組みづくり」を、そして営業体制が整った上でより「売れる商材づくり」に取り組むことが、効果的な戦略といえそうだ。

印刷業界におけるクリエイティブ価値の再考

 回復戦略の最後は、「クリエイティブ価値の再考」だ。最後にこれを挙げた理由として、宮本氏は「印刷の真の価値を理解している人が少ないように感じる」と話す。

「最近、よく『今年のカタログはデジタルに変えて、ウェブ上で見せるだけになりました』と報告を受けます。でも、これは印刷会社のお客様企業にとって本当に正しい選択なんでしょうか。『ウェブの時代だから』とただ単純にデジタル化する前に、デジタルには成し得ない、印刷物だからこそできる価値を提案できていますか、と問いたいですね」(宮本氏)

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 これまで述べてきたように、営業の効率化や商材の付加価値の強化はこれからの時代に必須であろう。また、効率化によって、この厳しい状況を乗り越えてなければならないことは間違いない。しかし、効率化によって生み出せる利益にも限界はある。業界全体が効率化だけに目を向ければ、顧客への提供価値のユニークさも失われてしまう。

 だからこそ、最後は「印刷の真の価値」と向き合うことが必要になってくる。やはり、印刷物の価値のひとつはエンドユーザーと物理的接点を持てる点であろう。

 顧客のニーズを深く理解したうえで、どのような表現、どのような物理的な体験提供が、エンドユーザーの心を動かすのか。印刷の真の価値と向き合いながら、技術を駆使してよりよいアウトプットをしていくことが、これからの時代は求められていくのだろう。

誇りを持ち、時流を踏まえた組織変革を

 最後に、宮本氏に印刷業界の経営者に向けたメッセージを聞いた。

「『なんか印刷って時代遅れだよね』『効率的じゃないよね』といった話だけで市場がなくなっていくのは、私はとても残念に思います。もちろん今の状況は厳しいですが、印刷には、印刷の強みや良さがある。誇りを持って、今一度業界の価値を見つめ直してほしいです。チャンスは必ずあります」

 デジタルの力で顧客接点と商材の付加価値を増やし、効率化を図る。そして、確固たる競争優位性を築くためにも、印刷の真の価値を再考していく。「顧客数の多さ」という商業印刷ならではの強みを活かしながら、謙虚さと共に誇りを持って時代の変化に対応していくことが、今後の印刷業界で展望を描いていく上での鍵となりそうだ。