
業務用資材の製造販売を手掛ける気合多工業(仮名)は、中国の競合メーカーの登場などによって、売上減少に苦しんでいた。同社の営業部長である川田俊介は、藁をもつかむ思いで営業改革に強いコンサルタントに相談する。
そこで想像もしていなかった解決策が提示された。この物語は追い詰められた営業部隊が復活の道を歩み始めるまでを描いた架空のサクセスストーリーである。

「部長、申し訳ありません。これ以上の数字は積み上げられそうもありません」
営業日報をチェックしていた川田が顔を上げると、目の前に藤本が立っていた。手にはエクセルシートのプリントアウトが握られている。藤本は入社5年目。川田が最も期待している営業部のホープだ。12月も半ばを過ぎた深夜のオフィスには、川田と藤本しか残っていない。
「そうか。いや、藤本のせいじゃないよ。お前はよく頑張っている」
川田がそう声をかけると、藤本は深々と頭を下げて自席に戻っていく。その足取りは重い。昨晩も提案書つくりのために徹夜している。相当疲れがたまっているはずだ。彼は本当によく頑張っていると思う。(みんな藤本のように頑張ってくれれば)。それが川田の本音でもある。
川田は改めてデスクの上のExcelシートに眼を落とした。この四半期も売上目標を達成できそうもない。外せば6四半期連続で未達になる。早晩、経営面にも大きな影響が出てくることは明らかだ。

川田が営業部長を務める気合多工業は、横浜に本社を置く、創業50年になる中堅の業務資材メーカーだ。従業員数約200名と大きくはないが、製品に対する評価は高く、多くの得意先を持っている。確かに、中国のメーカーが同じような製品を提供し始め、競争環境は厳しくはなってきているが、徹底したコスト削減を図り、価格競争力も維持している。勿論、品質はこちらの方が上だ。
(それなのに、なぜこんな結果に。藤本だけでなく、多くの営業マンの受注が落ち込んでいる。毎朝、営業会議でハッパをかけて、個別のフォローも怠っていない。しかし、結果が出ていないことは事実だ。私のやり方に問題があるのだろうか)
気合多工業に入社して25年。トップ営業マンとして華々しい実績を挙げ、3年前に営業部長に昇進した川田にとって、初めて直面する危機でもあった。
苦悩する川田のパソコンの画面には、あるセミナーの案内が表示されていた。タイトルは「サービス向上・顧客満足向上(CS向上)を科学するサービスサイエンス~顧客はサービスを買っている~」。セミナーの講師はワクコンサルティングという会社の副社長の松井拓己。講師紹介欄には「サービスサイエンスに基づいたサービス改革や営業改革、顧客満足向上」が得意分野とされている。
しかし、セミナーの開催日は2か月も先だ。そこまで待ってはいられない。しかし、川田はこれまでコンサルタントの力を借りたことはない。営業のベテランだという自負もある。(そんなことは言っていられない。何か手掛かりが掴めればラッキーだ。一度相談に行ってみよう)。川田は明日にでも電話してみようと決心した。

「川田さんのお悩みはどんなことなのでしょうか」
場所は気合多工業の会議室。目の前の松井は柔らかい口調で切り出した。成績が上がっていないことを話すのは屈辱的だが腹を括って話しを始めた。
一通り話を聞き終わった松井は、しばらく考えた後で口を開いた。
「営業マン一人一人がどんなプロセスで営業活動を進めているのか把握されていますか」
「勿論です。営業同行もしていますし、個別の面談もまめにやっています。ただどんな進め方をするのかは、それぞれに任せています」
「営業マン同士はお互いがどんな営業のやり方をしているのか知っているのでしょうか」
「営業会議で商談の内容や進捗状況は確認していますから、ある程度はわかっていると思いますね」
「顧客情報や提案書、見積書は共有されていますか。例えば顧客ベースやCRMのような営業活動を支援するツールは導入し、現場で使われているのでしょうか」
「2年前にCRMシステムを導入したのですが、実はあまり使われていません。忙しいといって入力してくれないんです。私としては営業状況が把握しやすくなるので、システムを活用したいのですが。見積書はバインダーにまとめてありますが、提案書はそれぞれのパソコンの中ですね」
川田は話しているうちに営業マンへの不満がふつふつと湧いてきた。忙しいことを理由にシステムさえ使っていない。システムをもっと活用するべきだとか言われるのだろうか。それなら自分のせいではない。しかし、松井の反応は違った。
「やはり個人に依存している営業スタイルのようですね。組織として営業力を発揮するためには、刀狩が必要かもしれません」
「刀狩、ですか」
「ええ、刀狩。営業マンの方たちが持っている、営業の気づきや知恵、成果物を全員で共有して、参考にしたり再利用したりできるようにしておくんです。そうすれば営業マン一人一人が経験で磨いたノウハウなどの刀を組織の力に変えることができます」
松井の言葉に、川田は内心ムッとした。営業のやり方なら自分が一番知っている。自分のやり方を模範にすれば、結果は出るはずだ。川田のそんな気持ちが伝わったのだろうか、
「川田さん。営業改革というのは今までのやり方を変えることです。これまでの成功体験に捉われないことも大事です。ちなみにサービスは“お客様と一緒につくるもの”という大きな特徴があります。皆さんは本当にお客様のことをわかっていると思いますか」と松井は聞いてきた。
「当然です。お客様の業種や規模、取引条件、予算、キーマンといったポイントはみんな分かっていると思います」
「ではお客様の“事前期待”は把握していますか。」
「事前期待、ですか。お客様が私たちに期待していることは決まっています。品質の良い製品を安い価格で、納期通りに納品することです。違うのでしょうか」
「昔はそれだけで良かったのかもしれません。しかし、今は違います。こちらからの提案を求めるお客様もいれば、必要なものがわからなくて問題自体を一緒に探し出すところから相談したいお客様もいます。例えば、提案を望んでいないお客様に一所懸命提案しても、それは余計なお世話になってしまいますよね。事前期待を把握しておくことが結果を左右するんです。川田さんは、サービスの定義をご存じですか。サービスとは“人や構造物が発揮する機能で、お客様の事前期待に適合するもの”のことです。裏を返せば、事前期待に適合しない機能は、いくら頑張って提供しても“サービス”とすら呼んでもらえない。つまり、サービスを提供しようと思ったら、“事前期待”を掴まなければ、サービスを提供することすらできないのです。
川田はハッとした。自分の中に営業とはこうあるべき、という固定概念があったことは否定できない。
「私たちが提唱しているサービスサイエンスは、サービスや顧客満足の本質を科学するものです。営業活動をサービスとして捉えることで、ロジカルで納得感のある科学的なアプローチが可能になるんです」
と松井は話を続ける。
「サービスの課題は大きく2つです。サービスの設計と教育です。サービス業では教育やトレーニングが命ですが、実態は「OJTで経験を積みなさい」と現場任せにされていて、組織的な教育ができていないことがほとんどです。また、サービスの設計も同様に現場任せです。ともすると、組織図に“サービス設計部”という部署すらない会社がほとんどですよね。これでは、組織的なサービス向上や営業強化は進まないのも当然です。このサービスの設計の基点となるのが、事前期待なのです。そこでまず、“事前期待”でお客様を定義するところから始めませんか。
いろんなお客様を十把一絡げに”お客様”と呼んでいたり、業種や規模といった属性情報でお客様タイプを定義するだけでは、営業の現場は明日から何を努力すべきかピンとこないのです。」
川田は松井の言葉に頷くしかなかった。
「良かったです。それでは営業マンの方を交えてワークショップをやりましょう。営業改革はそこからスタートです」
それから松井はちょっと微笑みながら、思い出したように付け加えた。
「それから、CRMは売上向上やリピート獲得のために、お客様の事前期待を共有して期待に応え続けるための、得点型のツールです。業務の効率化や部下の管理を目的にすると、忙しい現場では価値を感じられなくて使われなくなってしまいますよ。」