豊竹呂太夫(とよたけろだゆう)改め十一代目豊竹若太夫(わかたゆう)。この春、57年ぶりに文楽の大名跡が復活した。 豊竹若太夫とは、どれだけ大きな名跡なのだろうか。初代は人形浄瑠璃の歴史にその名を刻む。義太夫節をつくりあげた竹本義太夫の高弟で、独立して元禄16年(1703)に豊竹座を開き、竹本座と競い合って人形浄瑠璃を最盛期に導いた、文楽隆盛の立役者なのである。 1703年といえば近松門左衛門による『曾根崎心中』初演の年。人形浄瑠璃におけるふたつのエポックが同時に起こったこととなる。現在、文楽の太夫の芸名には竹本姓か豊竹姓しかないが、この竹本義太夫と豊竹若太夫がそれぞれの元祖。その偉大さを実感し
文楽の「大名跡」が57年ぶりに復活、4月大阪、5月東京で開催される十一代豊竹若太夫の襲名披露の愉しみ方
違いがわかる、大人の文楽入門(第2回)
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