滋野氏の官人を扱うのは、はじめてであろうか。『日本文徳天皇実録続』巻四の仁寿二年(八五二)二月乙巳条(八日)は、次のような滋野貞主(しげののさだぬし)の卒伝を載せている。 滋野氏は紀伊国の豪族の出身で、紀直と同祖である。天平勝宝二年(七五〇)に駿河国で黄金が出土した際、当時駿河守であった楢原造東人が勤臣( 伊蘇志臣) を賜姓され、さらに延暦十七年(七九八)に滋野宿禰を賜ったのが始まりである(『国史大辞典』による。大塚徳郎氏執筆)。 貞主は、東人の曾孫で、尾張守家訳の子。母は紀氏の人。貞主は身長が六尺二寸(約一八六センチ) もあり、若くから大学に学んで、大同二年( 八〇七)、二十三歳で文章生に及