「マツタケの人工栽培」を目指していたマツタケ研究の第一人者、吉村文彦博士は、毎年秋のマツタケシーズンになるとNHKや民放テレビ・ラジオでその年のマツタケ発生状況について解説し「マツタケ博士」と呼ばれていた。 普段は自身の母校でもある京都大学でマツタケ研究一筋に打ち込んでいた。そんな吉村先生に転機が訪れたのは1990年のことだ。岩手県の岩泉町の求めに応じ、岩泉町に活動の拠点を移すことになったのだ。 いまでこそ「岩手のマツタケ」「岩泉のマツタケ」はブランドとなっているが、この当時は全く違っていた。マツタケといえば、京都や広島、岡山、長野などが本場として知られ、岩手産は市場での値段も全く違っていた。