12年前の5月9日、私はウクライナの首都キーウにいた。その日は、ナチス・ドイツが降伏した日で、旧ソビエト連邦にとっては戦勝記念日に当たる。ロシアの首都モスクワの赤の広場で毎年、祝勝パレードが行われるように、キーウの独立広場でも大統領が参席してのパレードが行われていた。 その独立広場を見下ろすように建てられた「ホテル・ウクライナ」に滞在していた私は、朝早くにドアをノックする音で起こされた。大統領(当時は親ロシア派のヤヌコーヴィチだった)のSPで、そのまま室内に入ってひと通り内見したあと、こう警告された。「窓際に立つな。カメラを構えでもしたらライフルのスコープと見なして射殺する」 だから、窓から少
戦勝記念日に想う、戦後のウクライナに影響力持つのは米か露か、それとも…
第三国が戦争当事国に支援・援助を申し出る理由は善意だけではない
Premium会員登録のご案内
Premium会員の特典
- プレミアム限定の記事配信
- プレミアム専用記事レイアウト
- 印刷に最適な画面提供