逸ノ城の初優勝で幕を閉じた名古屋場所は、カド番の正代と御嶽海が6日目終了時点でともに2勝4敗。もし両大関が負け越せば、横綱・大関の人数が、横綱が地位化した明治42(1909)年以降、史上最も少ない2人になる大ピンチだった。 幸い正代はその後調子を取り戻して勝ち越し、御嶽海はコロナ関係で7日目から休場したため、再び秋場所にカド番で臨むことになった。 最悪の事態は避けられたものの、もし正代、御嶽海の両大関が名古屋場所で負け越し、大関が貴景勝の1人になった場合、秋場所の番付はどうなっていたのだろうか。おそらく東の照ノ富士は大関を兼ねる「横綱大関」と番付に記載され、貴景勝は西大関にランク付けされていた