1203年(建仁3)9月10日、頼家の弟である千幡は、わずか12才で元服して実朝と名乗り、鎌倉殿となりました。頼家が病気療養という名目で出家させられてから、3日後のことです。「実朝を従五位下・征夷大将軍に任ずる」という朝廷からの報せが、鎌倉に届いたのは9月15日。いくら権力の空白を作らないためとはいえ、どうにも手回しがよすぎます。しかも、任官の決定が下されたのは9月7日、つまり頼家が出家したのと同じ日となっているのです。 もちろん、メールもファクスもない時代のことですから、鎌倉と都との間の連絡には何日もかかります。また、「実朝が後を継ぐから将軍に任じて下さい」という要請書を作成するには、北条時