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前回の会議では好評だった提案が、次の会議で突然却下される。その背景には「根回し」の有無があるかもしれない。日本独自の慣習と思われがちな「根回し」だが、実は海外にも「バックステージ・ネゴシエーション」という似た行動が存在する。両者は何が違うのか?『社内政治の科学』(木村琢磨著/日経BP 日本経済新聞出版)から一部を抜粋・再編集し、学術研究に基づく知見を紹介する。
海外で語られるネマワシ
『社内政治の科学』(日経BP 日本経済新聞出版)
前の会議で少し説明したときには好意的な反応だったのに、次の会議で突然反対されたことはありませんか? あるいは、最初は評判が良かった自分の提案がなぜか最終段階で却下されたことはありませんか? その裏には根回しが関係していたのかもしれません。
「根回し」はもともと、「根を回す」という意味の造園用語です。木を移植する前に根のまわりを掘り、あらかじめ新しい土地で根づきやすくしておく作業のことです。ビジネスの文脈では一般的に、正式な会議や意思決定の前に非公式に同意を取りつけることを「根回し」と呼びます。
この「根回し」という言葉は、海外でも「ネマワシ(Nemawashi)」として知られています。この言葉は日本で働く外国人ビジネスパーソンにも広く知られています。また、海外にある日系企業の現地スタッフの間にも、ネマワシという言葉は浸透しています。
海外でも「ネマワシ」は、日本での日常的な根回しとほぼ同じ意味で使われています。会議や決定の前に、調整役が関係者と非公式に話し合うような、合意形成のプロセスを指しています(Wolfe,1992)。日本のビジネス文化においては、この根回しがさまざまな場面で必要とされています。
特に、重要な意思決定の準備段階では、決定の前に根回しをしておくのが当然だという会社もあります。そうした会社では、会議に提案が上がる時点ですでに話はついています。つまり、主要な関係者からの支持を事前に得ていることが多いのです。このような「事前調整」が、意思決定に大きく影響することはよくあります。
日本企業におけるネマワシの重要性は、海外の学術論文やビジネス書でもたびたび取り上げられています。米国の研究者マイケル・ウルフは、根回しが合意形成を円滑にすると述べています(Wolfe, 1992)。根回しによって、利害の異なるメンバーの意見をあらかじめ調整することができ、衝突が避けられ、合意形成がスムーズになるからです。
また、同じく米国の研究者であるマイケル・フェッターズも根回しに注目しています。彼によれば、根回しは日本の「意見表明よりも合意形成が重視される文化」の反映です。そして、根回しには「裏工作」「陰謀」といったニュアンスがあるものの、創造的な合意形成手法という側面もあります(Fetters, 1995)。
ネマワシは、海外の人にとってはやや奇妙なものに見えているかもしれませんが、そのポジティブな面も広く認識されています。グローバル企業の中には、日本に赴任予定のビジネスパーソン向けの事前研修において、ネマワシを学習項目の一つに入れているところもあります。いまや「ネマワシ」は、日本独自の文化的慣行という枠を越え、グローバルビジネスのキーワードとして英語圏でも認識されるようになっています。
海外にもあった「根回し」――バックステージ・ネゴシエーション
「ネマワシ」は日本特有のものだから海外では必要ない。そう考える人も多いかもしれません。実際「海外では意思決定が早いから根回しは必要ない」と考えている日本人は結構います。そのため、グローバルな場面でネマワシを省略し、案件をいきなり会議に持ち込んでしまうのです。
ところが、そうしたやり方はうまくいかないことが多いのです。事前の相談なしで発表すると、関係者の反発を招くことがあります。それは、日本の会社で「ちゃんと根回ししたのか」と言われるのと同じです。「Nemawashi」という言葉が英語でも使われるようになったのは、ぴったり合う単語が英語にはなかったからです。
「ネマワシ」が英語になっていることは、英語圏に根回しと「似たようなもの」がないということではありません。あるものを表す単語がないことと、それが存在しないこととはイコールではありません。さらに重要なことは、実は海外にも根回しに似た行動があり、ビジネスの中では重要な役割を果たしているということです。それがバックステージ・ネゴシエーション(backstage negotiation)と呼ばれる行動です。
この言葉は、社会学者アーヴィング・ゴッフマンの「舞台/舞台裏(frontstage/backstage)」という概念化に由来します(Goffman, 1959)。表の舞台では、役者は自分の役割を演じ、聴衆に向かってパフォーマンスを見せます。一方、舞台裏では、衣装を整える、段取りを確認する、本音を語り合うといった、より本質的で自由なやりとりが行われます。
ビジネスにおける「バックステージ・ネゴシエーション」も同じような意味を持ちます。たとえば労使交渉のような正式な場では、それぞれが自身の立場を守りながら交渉に臨む必要があります。しかし実際には、その前後に「舞台裏」で非公式なやりとりが行われることが多いのです。そこでは、建前を超えた本音のやりとりが交わされます。会議では話しづらい本音や条件などが、そうした舞台裏で共有されることもあります。
この「舞台裏」の交渉は、欧米のビジネス文化でも重要なプロセスとして認識されています。交渉に臨む前に相手の懸念や立場を理解しておくこと、会議の席で相手を驚かせないこと、事前に反応を探っておくこと――これらはまさに、根回しと共通する考え方です。
さらに、ビジネスの現場では、移動中の車内やランチタイム中の雑談、さりげないメールでの共有など、非公式な接点が重要な意味を持つことがあります(Koch & Denner, 2022)。こうした場での会話が、会議での発言を左右したり、提案の通りやすさに影響を与えたりするのです。特に、利害が異なる複数の部署や関係者が関わるようなプロジェクトでは、事前の調整や感触の確認がとても重要になります。
「根回し」にぴったり当てはまる英単語はありません。しかし、同じような行動は海外でも昔から行われ、今も必要とされているのです。
なぜネマワシが英語になったのか――海外と日本の根回しの違い
ネマワシに似たバックステージ・ネゴシエーションがあるにもかかわらず、「ネマワシ」という日本語がそのまま英語として使われるのはなぜでしょうか? それは、根回しが日本特有の社会的文脈や価値観と深く結びついており、翻訳ではとらえきれない側面があるからです。
たとえば、根回しには「メンツを保つ」という目的があります。相手の立場や体面を傷つけないようにすることです。日本では、公の場で意見に異を唱えることは、相手のメンツをつぶす行為と受け取られることがあります。
だからこそ、会議前に非公式に意見を聞き、異論をあらかじめ調整しておく必要があるのです。ちなみに「メンツ」は日本固有のものではなく、アメリカやその他の国にもメンツを大切にする文化があります。特に中国社会では日本社会以上にメンツを守ることが重視されています(Goffman, 1955; Hu,1944)。
また、根回しは「上下関係」や「年功序列」といった社内の序列への配慮も含みます。日本の企業文化では、序列への配慮が強く求められます。年次や役職が上の人を飛ばして決定を進めることは、重大な礼儀違反とみなされることがあります。そのため、関係者の中でも「誰に先に話すか」「どのタイミングで伝えるか」といった細かな順番の工夫が必要になります。
さらに、根回しは「不確実性を嫌う」という日本文化の反映でもあります。オランダの心理学者ヘールト・ホフステードが提唱した文化次元の理論には「不確実性回避傾向」という文化指標があります(Hofstede, 1984; 2001)。これは将来や変化、曖昧さ、不確実な状況に対して人々がどの程度ストレスや不安を感じるかを表すもので、世界の中で特にこの傾向が強いのが日本の特徴です。
根回しは、会議や意思決定の場を「何が起こるか分からない場」にしないよう、事前に情報を共有しておくという意味があります。不安を感じる人ほど、提案に対して慎重になったり、反対に回ったりする可能性が高くなります。
一方のバックステージ・ネゴシエーションは、より交渉としての色合いが強いものです。日本の根回しに比べて、明確な利害対立を前提とした利害調整や、戦略的な譲歩、そして合意形成が強く意識されています。根回しの中には、バックステージ・ネゴシエーションと同じものもありますが、明確な利害調整や戦略的な譲歩をともなわない場合もあります。
そのため、欧米人にとって根回しは「なぜ交渉もないのに、事前に訪問する必要があるのか」「あの人は何のために会議前にわざわざやって来たのか」といった戸惑いを生むこともあります。このように「根回し」と「バックステージ・ネゴシエーション」は似て非なるものです。「根回し」という言葉は日本独自のものですが、根回しに近い行動は、海外でも重要な意味を持つことを理解しておく必要があります(図2-1)。
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