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根回し、派閥、権力争い…とかくネガティブなイメージが付きまとう「社内政治」。しかし世界的には主要な研究テーマの1つであり、健全で活力ある組織づくりに不可欠なものである。『社内政治の科学』(木村琢磨著/日経BP 日本経済新聞出版)から一部を抜粋・再編集し、学術研究に基づく知見や技術を紹介。併せて、社内政治の実践的な活用法も解説する。
経営学が合理的な戦略論だけでなく「政治的な力学」にも注目した理由とは?
経営学における政治的パースペクティブ
『社内政治の科学』(日経BP 日本経済新聞出版)
ヘンリー・ミンツバーグは、経営者やマネジャーの仕事が「計画通りにいく整然としたもの」ではなく、「状況に応じて対応する混沌とした現実」であると考えました(Mintzberg 1983, 1985)。彼は組織を「政治の舞台(political arena)」と表現しました(より限定的に訳せば「政治闘争の場」という意味にもなります)。
ミンツバーグは、組織の中ではさまざまな権力闘争が繰り広げられていると考えました。組織の中で影響力を強めるための行為は「政治的ゲーム」と呼ばれ、例として「同盟」「抵抗」「権威の濫用」などが挙げられています。こうしたゲームは表面化しないこともありますが、実際の戦略策定や組織変革の成否に大きな影響を及ぼします。
サイアートやマーチ、ミンツバーグらの研究は、組織を一枚岩の合理的主体としてとらえる見方から脱却した点が特徴です。そして組織を、内部に多様な利害関係者と政治的力学を抱える主体として再定義しました。このように経営学の研究では、古くから社内政治という現象は認識されてきたといえます。
もし皆さんの中に、経営学が全般的にそうした組織の政治的性質を扱っていないイメージがあるとすれば、それはかつてベストセラーになったマイケル・ポーターの競争戦略論(邦題:『競争の戦略』、『競争優位の戦略』)の影響が強いかもしれません。
ポーターの競争戦略論は、業界構造分析というフレームに基づく理論形成を主眼としており、組織内の権力や政治力学に関する言及は限定的でした(Porter 1980, 1985)。ポーターは経営学者ではなく経済学者です。彼が提示した理論は、応用ミクロ経済学に基づいた、戦略形成の出発点とするためのシンプルな枠組みとして用いるべきものです。
ポーターがあまりにも有名になった一方で、組織の非合理性を論じた理論はあまり日本に紹介されず、その結果、合理的な視点に立つマネジメント論が主流となったのかもしれません。
経営学は組織の非合理性や政治的な力学にも注目してきました。組織には、合理的な戦略論だけでは説明できない現実があるのです。
社内政治は根絶できるか
会社で働く人たちの中には「社内政治はない方が良い」と考える人も少なくないと思います。もし組織の中から利害対立や根回しが一掃されれば、もっと合理的で透明性のある意思決定ができるのではないか、と考えることもあると思います。
一方で「うちの会社は風通しが良いです」「社内政治はありません」――このように言い切れる会社は、理想に近い組織といえるかもしれません。マネジャーであれ、一般社員であれ、派閥争いや根回しに煩わされることなく、誰もが自由に発言し、合理的に物事が決まっていく職場で働きたいと思うのは、おかしいことではありません。
しかしここでは、社内政治をなくせるかどうかを現実的に考えてみましょう。社内政治を完全になくすことは可能なのでしょうか? また、そもそも社内政治は本当に「ない方が良い」のでしょうか?
結論から言えば、社内政治は「なくせるもの」ではありません。さらに言えば、社内政治は「なくすことを目指すべきもの」でもなく「前提とすべき現実」です。そして、政治のない組織が健全な組織になるとは限らないということを私たちは認識しておくべきです。
ある企業で「風通しの良い職場づくり」を掲げた組織風土改革が実施されました。「心理的安全性」(※心理的安全性:自分の考えや疑問、懸念、あるいはミスを口にしても、罰せられたり恥をかかされたりしないと信じられる状態のことを言います。1950年代に心理学者カール・ロジャーズが提唱し(Rogers, 1954)、その後にエドガー・シャインとウォーレン・ベニスによる組織開発の視点からの議論を経て(Schein & Bennis, 1965)、エイミー・エドモンドソンが1990年代に職場のチーム研究に適用し、経営学の中でも1つの概念として確立しました(Edmondson, 1999))をスローガンとして、上司・部下の垣根をなくし「誰もが自由に意見を言える」雰囲気づくりが徹底されました。
当初は活発なディスカッションが展開され、多様なアイデアが吸い上げられ、改革は成功したかのように見えました。
しかし、次第にある傾向が見え始めます。それは「多数派の意見」や「世間でポジティブに評価されている価値観」に基づいた発言ばかりが通りやすくなるという現象です。
たとえば、環境意識やダイバーシティ推進といったテーマに関しては、肯定的な発言が「理解がある」「時代に合っている」とされる一方で、社内の実態をふまえた慎重論や懸念は「時代遅れ」「保守的」として軽視される空気が生まれました。
結果として、自由なはずの議論の場に、形を変えた同調圧力が漂うようになりました。この圧力を利用して、世間の流行を自分の主張の根拠として用いたり、「雰囲気を壊したくない」という心理を利用して、発言の方向性をコントロールしたりする人たちが現れました。
このように、表面的に政治がないように見える場が、実は最も政治的な空間になっていることもあります。
さらに重要なのは、「政治が存在しないことを証明するのは事実上、不可能である」という点です。何も表面化していないからといって、それが「社内政治がない」ことの証拠にはなりません。むしろ、静けさの裏で誰かが根回しを済ませているだけかもしれません。たとえ今は表面化していなくても、利害対立が強くなれば、政治的な動きが表面化または再燃するでしょう。
だからこそ、マネジャーに求められるのは、社内政治を駆逐することではなく「社内政治は常に存在する」という前提で、それを健全な調整機能として活用していく姿勢です。社内政治は悪ではありません。それは、人が集まって働く組織において避けることのできない現象です。それを理解し、うまくマネジメントしていくことが、優れたマネジャーへの第一歩なのです。
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