写真提供:©Chiang Yin Shan/SOPA Images via ZUMA Wire/ロイター/共同通信イメージズ

 TSMC(台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング・カンパニー)の2025年7~9月期決算は、売上高が9899億台湾ドル(約4兆9000億円)、純利益が4523億台湾ドルでいずれも四半期として最高だった。ファウンドリー(半導体受託生産)モデルで業界の勢力図を塗り替えた創業者モリス・チャンは、なぜ世界初、世界最大の企業を生み出すことができたのか。『イノベーション全史』(BOW&PARTNERS)の著書がある京都大学産官学連携本部イノベーション・マネジメント・サイエンスの特定教授・木谷哲夫氏が読み解く。

本稿は「Japan Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2024年8月23日)※内容は掲載当時のもの

TSMCはどれほどすごいのか

 半導体の世界では、AMDやエヌビディアのように半導体の設計だけに特化して製造は外部に委託する「ファブレス」と、TSMC(台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング・カンパニー)のように製造だけを担当する「ファウンドリー」とが分業するようになっている。

 ファブレスの半導体メーカーは1000社を超えていると言われている。なぜそれほど増えたかというと、巨額の設備投資が必要な製造の部分をTSMCに外注することにより設計だけに注力することができ、少ない資本でも気軽に創業できるようになったからだ。

 TSMCが新たなビジネスモデルを出現させたおかげで、シリコンバレーで半導体スタートアップが次々に誕生、TSMCを共通インフラとして利用した正のスパイラルが始まった。つまり、TSMCは「製造に特化したウエハーファウンドリーのビジネスモデル」というイノベーションを起こすことで、半導体業界を根本から変えてしまったのである。

 TSMCの創業者モリス・チャンがいなかったら、このような数多くの半導体開発企業の誕生はなく、エヌビディアも生まれていなかったかもしれない。

 2018年にモリス・チャンが一線を退いた後も、後継者が従来と同じ方針でTSMCを率いていくことで、TSMCは成長を続けている。中華圏では企業が巨大化しても創業オーナー家のファミリービジネスとしての場合が多く、TSMCのような近代的な企業体として成長を続けるのは珍しい。

 TSMCは現在でも世界最大の半導体製造企業であり、TSMCのウエハーファウンドリー業界における市場シェアは5割以上。TSMCは世界中のハイテク企業、電機メーカー、エヌビディアなどの各種の設計専門の企業から製品の製造を請け負っている。

 例えばアップルは、TSMCに製造を委託した半導体をiPhoneやiPad、Apple Watchに組み込んで世界中の消費者に販売している。

台湾の「護国神山」と呼ばれるTSMC

 TSMCは現在、微細な7nm(ナノメートル)、5nm、3nmプロセスでサムスン電子をリードし、7nmと5nmの量産ではインテルも追い越している。TSMCは2nm世代のプロセス生産を2020年第1四半期に基本的に完成させたが、2024年にリスクプロダクション(先行試験生産)を実施、そして2025年には量産にこぎ着ける計画だ。

 ちなみに日本の国家プロジェクトであるラピダス(Rapidus)は、2nmプロセスの量産を2027年に開始するという計画を発表しているが、もし順調に計画通りに成功したとしてもTSMCの2年遅れということになる。出来上がった時にはTSMCはもっと先の課題に取り組んでいるだろう。

 政治的・地政学的にも、TSMCは台湾で国の守り神のような存在であり「護国神山」(または護国群山)と呼ばれている。護国とは、欧州や米国、日本など先進諸国にとって不可欠な独占的、優位性のある技術を保有することで西側サプライチェーンの不可欠な部分を担い、台湾がそれらの国々にとって絶対に失うことができない存在になることを意味している。

 そして神山とは、TSMCが台湾全土のいくつかのエリアに保有する大規模な半導体製造工場群、最先端パッケージング工場群を指している。今や台湾という国の存立もTSMC抜きには考えられないということだ。

 半導体産業を一変させるような革新的なビジネスモデルのイノベーションは、なぜ可能だったのか?  TSMCは、なぜモリス・チャンの退任後も近代的な企業体として存続できているのであろうか? そういった疑問について、モリス・チャンのたどった道を見ていこう。

テキサツインスツルメンツ(TI)でキャリアを積む

 モリス・チャンは、世界初で世界最大の半導体製造ファウンドリーTSMCの創業者であり、元会長兼CEOとして台湾の半導体産業の創始者として知られる。

 モリス・チャンは1931年に中国の浙江省寧波市の裕福な家に生まれた。日本軍が上海に迫る中、一家は戦火を避けて香港に引っ越したが、さらに第二次大戦が勃発して日本軍が香港に侵攻する前に当時の中華民国の首都だった重慶に引っ越している。つまり彼は台湾人ではないが、中華民国人として台湾が故郷なのである。

 18歳の時、一念発起して渡米し、ハーバード大学に入学、2年生でMIT(マサチューセッツ工科大学)に編入し、機械工学を専攻し学士号、修士号を取得した。キャリアのスタート時点での専攻は機械工学なので半導体とは関係はなく、卒業の時も自動車大手のフォード・モーターへの就職を考えていたようだ。

 しかし、モリス・チャンは給与面で不満があった大企業のフォードではなく、トランジスタ製造のベンチャー企業シルバニア・プロダクツに就職、機械工学とは関係のない半導体の道に進み、3年後にはIC(集積回路)の開発に成功したTI(テキサス・インスツルメンツ)に転職する。つまり、就職の際の偶然で専門の自動車業界ではなく、当時の半導体産業の最先端に身を置くことになった。

 TIでは半導体技術について同僚から教えを受けながら独学で学び、仕事で実績を上げたことで、TIは彼にスタンフォード大学で電気工学博士を修得させた。

 TIで25年働いた1985年、54歳の時に台湾政府から依頼され、台湾工業技術研究院の院長に就任した。

 すでに50代半ばであり、米国大企業のトップマネジメントの一人として充分な報酬を得たであろう彼は、ここでハッピーリタイア生活に入ってもおかしくなかった。

 しかしそれから実に33年間もの間、2018年に引退するまで、世界初の半導体製造に特化した企業を創業し、社長・会長として世界最大の半導体企業を率いるという活動のピークを迎えることになる。

「役職定年」の年齢から再スタートし、半導体業界を根本から変え、世界最大の半導体製造企業を作るという奇跡はなぜ起こったのか見てみたい。