ISTが開発を進める軌道ロケット「ZERO」(全長32m)ⒸIST
ロケット開発や衛星通信、宇宙旅行など、多様な企業が競い合う宇宙産業は、2040年に市場規模1兆ドル超と予測される成長分野だ。本連載では、宇宙関連の著書が多数ある著述家、編集者の鈴木喜生氏が、今注目すべき世界の宇宙ビジネスの動向をタイムリーに解説する。
トヨタが宇宙開発ベンチャーのインターステラテクノロジズに70億円を出資し、ロケット量産体制の構築が始まった。宇宙戦略を加速する両社の提携は、日本の民間宇宙産業をどう変えるのか。
トヨタがISTに70億円を出資
2025年1月7日、トヨタ自動車の完全子会社であるウーブン・バイ・トヨタは、宇宙開発ベンチャーであるインターステラテクノロジズ(IST)と資本業務提携を結び、資金調達ラウンドのシリーズFのファーストクローズにおいて約70億円を出資した。
この提携によってトヨタの宇宙事業戦略はより明確化されたといえ、両社による事業は今後、国内民間宇宙産業、特に宇宙輸送事業の主軸になると予想される。
同提携が発表された3週間後の1月28日には、ウーブン・バイ・トヨタの隈部肇CEOがISTの社外取締役に就任。そして8月4日、ISTはトヨタ自動車とも業務提携を締結し、ロケットの製造体制を確立すると発表した。
ISTとの初期の提携相手がトヨタ自動車ではなく、ウーブン・バイ・トヨタとされたのは、同社がトヨタグループにおけるモビリティの変革を担当し、ロケットや人工衛星というカテゴリがそこに含まれたためだが、現時点でISTとの連携はウーブン・バイ・トヨタにとどまらず、トヨタグループ全体に及んでいる。
ISTは北海道大樹町を拠点とするロケット開発企業であり、同社が2019年に打ち上げた商業ロケット「MOMO3号機」(全長9.9m)は、国内民間企業が独自開発したロケットとしては初めて宇宙空間への到達に成功した。
MOMO3号機は、高度100km以上とされる宇宙空間に達した後、地球を周回する軌道には乗らず、そのまま地表に戻る「準軌道ロケット」である。そのためISTは現在、衛星などのペイロード(搭載物)を地球周回軌道に投入できる「軌道ロケット」の開発に取り組んでおり、全長32mの新型ロケット「ZERO」を計画している。
その積載量は、低軌道(地表から高度約200〜2000kmの範囲にある人工衛星の軌道)まで1000kg。ISTが出資する「北海道スペースポート」(北海道大樹町)では、ZEROを優先的に使用できる打ち上げ施設「LC-1」の建設が進んでおり、その完成は2026年9月以降と見込まれる。ZEROの初打ち上げは同施設の完成後になる予定だ。
バイオメタン燃料を使用するISTのロケットエンジン「COSMOS」ⒸIST
ISTではZEROに搭載するエンジンとして、独自設計による「COSMOS」を開発している。燃料には牛糞を活用したバイオメタンを採用し、これをマイナス162度以下に冷却した液化メタンを搭載する。
ロケットの燃料としては一般的に液体水素やケロシンなどが使用されるが、液化メタンは液体水素(マイナス253度以下)よりも扱いやすく、ケロシンよりも比推力(クルマにおける燃費)に優れるという特長を持つ。COSMOSは小型軽量ながら1基当たり13トンの推力を発揮し、ZEROの第1段には同エンジンが9基、第2段には1基が搭載される。
ISTの「ZERO」と、主要各社のロケットのサイズ比較。ⒸSpaceX/JAXA/IST/Firefly/RocketRab/SpaceOne/y.suzuki
トヨタとの協業でZEROを量産する
ZEROの量産化を目指すISTでは、2024年10月に帯広支社を開設し、同年11月に東北支社(福島県南相馬市)の建設も開始するなどして量産に備えてきた。
COSMOSの製造においてもトヨタグループとの協業がすでに始まっている。2025年8月9日にはトヨタ自動車北海道(北海道苫小牧市)が、ISTから受託生産したCOSMOS用のターボポンプを初出荷し、続く9月2日には同じくトヨタ自動車北海道が、同エンジンの組み立て業務をISTから受託したと北海道新聞が報じた。
ISTが自社開発するロケットエンジン「COSMOS」のシステム概念図。ⒸIST
こうしたトヨタグループの支援を元にISTは、量産化によってZEROのコスト低減をはかり、1基当たりの打ち上げコストを8億円以下に抑えようとしている。一方、ISTとタッグを組むことによってロケット事業への参入を果したトヨタは、同社のあらゆるノウハウをそこに投入しようとしている。
また、ISTとトヨタは業務提携を結ぶ以前から人的な交流を活発化させており、ISTは2020年にトヨタ⾃動⾞(3名)、トヨタ自動車北海道(2名)を含む7社10名、2024年にはトヨタ車体(1名)など新たに3社からの出向を受け入れてきた。自動車の技術者がロケットエンジンに取り組む様子は、トヨタのメディア媒体「トヨタイムズ」(2025年8月4日公開)でも確認できる。
2024年7月に北九州市小倉で開催された「九州宇宙ビジネスキャラバン2024北九州」では、量産体制がいかに重要かをISTのファウンダーである堀江貴文氏が力説したが、それから1年後、その体制が確立されたことになる。
ISTの資金調達金額は1400億円超
ISTとウーブン・バイ・トヨタが提携して以降、ISTには多額の資金が流入し続けている。2025年2月21日には、スタートアップや中小企業への研究開発補助を目的としたSBIR(中小企業技術革新制度)で追加交付を受けることが決まった。文部科学省が所管する「民間ロケットの開発・実証」が対象で、上限は14.4億円となる。
4月25日には、JAXA(宇宙航空研究開発機構)を経て提供される「宇宙戦略基金」において、技術開発テーマ「高精度衛星編隊飛行技術」に採択され、東京科学大学や大阪大学など5大学との連携で、20億円を上限とする資金援助を受けている。
また、7月10日には、資金調達ラウンドのシリーズFのセカンドクローズにおいて、三井住友銀行などを引受先とした第三者割当増資(65億円)と、金融機関からの融資(24億円)によって、トータル89億円を調達した。
さらに9月17日には、野村不動産と資本業務提携を締結し、2026年3月期から2028年3月期の3カ年で、なんと約1000億円の投資を受ける予定だ。
ウーブン・バイ・トヨタから70億円の融資を受けた2025年1月の時点で、補助金などを含めたISTの資金調達額の累計は約300億円に達していた。その後に獲得した補助金などは金額が確定しておらず、ISTが単独で運用できないものも含まれるが、上記の獲得金額を単純計算すれば最大1123億4000万円となり、累計では1400億円を超える。
つまりISTはウーブン・バイ・トヨタとの資本業務提携の後、わずか約8カ月間でその調達金額を約3.7倍に増やしたことになる。ロケット開発の資金を集めるために2001年までクラウドファンディングを行っていた企業とは思えないほどの躍進だ。
ISTの稲川貴大社長は上場の可能性に関して、2024年7月の時点では「ZEROの初号機の打ち上げ後に検討する」とコメントしている。
ロケットと衛星による垂直統合ビジネス
ISTが構想する「高精度衛星編隊飛行技術」を生かした衛星コンステレーションのイメージイラストⒸIST
「宇宙戦略基金」(上限20億円)において、ISTは4月にJAXAの技術開発テーマ「高精度衛星編隊飛行技術」に採択されたと前述したが、これはスペースXのスターリンク衛星と同様、「衛星コンステレーション」に関わる技術だ。つまり、ISTはロケット事業だけでなく、衛星事業にも取り組もうとしている。
ZEROの商業運用が軌道に乗り、衛星事業も本格化すれば、ISTはロケットと衛星通信による垂直統合ビジネスを国内で初めて成し遂げることになる。
ISTの衛星コンステレーションでは、数十キログラム程度の超々小型衛星を数多く打ち上げ、それらを軌道上で高精度に連携させ、フォーメーション飛行させることを目指す。衛星を多数打ち上げる際に自社ロケットの量産が必須であることは、スペースXがすでに証明している。
こうした事業が実現すれば、スマートフォンや自動車などに直接接続する次世代ブロードバンド衛星通信の構築につながり、トヨタグループにも多大なメリットをもたらすことになる。
ルナクルーザーの月面着陸は2032年か
トヨタの有人与圧式月面ローバー「ルナクルーザー」。液体水素と液体酸素を動力源とした水素燃料電池で1万kmを走破するⒸTOYOTA
ISTとの協業と並行して、トヨタは有人月面ローバー「ルナクルーザー」の開発を、JAXAとともに2018年から継続している。史上初となるこの「与圧式」の有人月面ローバーは、2024年4月、日米両政府によって月の南極圏に送られることが約束され、現時点においてはアルテミス7(2032年)での打ち上げが予定されている。
月面を走るための金属製の特殊なタイヤはブリヂストンが担当し、車体に付着する月の砂(レゴリス)を除去する装置は、コニカミノルタが7月から実証試験を開始した。また、2025年5月には、ルナクルーザーのテスト車両が走行する様子が初めて公開され、9月22日には横河電機と車両用制御プラットフォームなどの研究開発に関する契約が締結されている。
ただし、アルテミス計画は大幅に遅延しており、いつ実施されるかは見通せない状況だ。日米両政府は同会合で、日本人宇宙飛行士2名を月面に送り込むことにも合意したが、その時期はまだ決まっていない。
ルナクルーザーは「燃料電池」で動く。つまり同車両には、「液体水素」と「液体酸素」が入ったカートリッジ式のタンクが搭載され、それらの化学反応によって電気を生成してモーターを駆動する。同車両には大型の太陽電池パネルも搭載されているが、月の夜は約2週間も続くため太陽光が得られない。その間でも燃料電池であれば電力を生み出し、走行を続けることができる。
ルナクルーザーが太陽電池パネルを展開した状態のイメージイラストⒸTOYOTA
与圧式ローバーに水素燃料を選択するメリットは多い。水素と酸素が化学反応を起こすと、電気とともに水も生成される。車両に搭載されている酸素とこの水は、搭乗員の糧となる。
また、アルテミス計画が目指す月の南極圏には「水の氷」が豊富にあることが分かっており、その氷を採取し、水を電気分解すれば、水素と酸素が生成される。つまりはルナクルーザーの動力源は、月面で現地調達できるわけだ。
水素燃料電池はトヨタにとってはオハコ技術といえ、2014年には圧縮された気体の水素を使用する自動車「MIRAI」を世界で初めて市販化し、2022年からは液体水素エンジンを搭載したGSカローラでレースにも参戦している。そこで培った「水素生成装置」の技術は、月面でも生かされるはずだ。
今後、有人による月面探索が軌道に乗れば、トヨタは同技術によっても大きな収益を上げる可能性がある。
