写真提供:World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ

 人類史において、新たなテクノロジーの登場が人々の生活を大きく様変わりさせた例は枚挙にいとまがない。しかし「発明(インベンション)」と「イノベーション」は、必ずしも輝かしい成功ばかりではなかった。本連載では『Invention and Innovation 歴史に学ぶ「未来」のつくり方』(バ-ツラフ・シュミル著、栗木さつき訳/河出書房新社)から、内容の一部を抜粋・再編集。技術革新史研究の世界的権威である著者が、失敗の歴史から得られる教訓や未来へのビジョンを語る。

 今回は、現代文明の基盤が集中的に築かれた歴史的に異例な1880年代を振り返るとともに、これからの社会にとって必要な発明とは何なのかを思索する。

本稿は「Japan Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2024年8月28日)※内容は掲載当時のもの

 現代文明のエネルギーや素材の原料の基盤は第一次世界大戦前の50年間に、とりわけ集中して1880年代というたった10年のあいだに築かれたことがわかっている。

 1880年代の10年間で、現代文明に欠かせないさまざまなプロセス、コンバーター、材料が発明され、特許を取得したのだ。商業的に大きな成功をおさめたものも多く、全体として見るとこの10年ほど前例のない記録を樹立した期間はないし、今後も繰り返されることはまずないだろう。

 自転車、キャッシュ・レジスター、自動販売機、パンチカード、加算器、ボールペン、回転ドア、制汗剤(それにコカ・コーラやウォール・ストリート・ジャーナル紙も)は、この10年間に誕生した比較的小さな発明やイノベーションの部類に入るのかもしれない。

 なにより、発電・配電・変換という電気システムをほぼ完成させたことが、根本的かつ永続的に重要な発明だった。

 この10年間で、世界初の石炭火力発電所や水力発電所、火力発電の頼みの綱である蒸気タービン、変圧器、送電機(直流・交流ともに)、メーターなどが誕生し、白熱電球、電気モーター、エレベーター、溶接、都市交通(路面電車)、初のキッチン家電などに電気が利用されるようになった。

 そしていま、私たちの世界にあふれているマイクロチップは、信頼の置ける電力供給があるからこそ機能している。2020年の時点で、火力発電と水力発電は発電電力量の70%以上を供給していて、新たな再生可能エネルギーを利用した風力発電と太陽光発電は10分の1程度にすぎない。

 1880年代には、3人のドイツの技術者が内燃機関を動力源とする自動車を発明し、スコットランドの発明家が空気入りゴムタイヤを思いつき、アメリカの化学者とフランスの化学者がそれぞれ独自にアルミニウムの精錬法を発明し、アメリカの建築家が世界初の鉄骨構造高層ビルを完成させた。

 こうした発明が市民生活を大きく変えたこと、永久に重要であることは言わずもがなだ。1886年から1888年にかけては、ドイツの物理学者ハインリヒ・ヘルツが、その数十年前に発表されていたジェームズ・クラーク・マクスウェルの予測が正しいことを証明した。電磁波を発生させ、放射したのである。さらに、その周波数を測定し、「重量測定が可能な物体の音の振動とエーテル〔訳注:光が伝播(でんぱ)するために必要だと思われていた媒質〕の光の振幅」のあいだにあるものとして正確に位置づけた。

 この電磁波の発見のおかげで、現代の携帯電話やソーシャルメディアといった、非接触型のワイヤ レスな通信が可能となったのだから、私に言わせればワイヤレスな通信はマクスウェルのアイデア から生まれた第五世代の派生物である(ヘルツが第二世代、第一次世界大戦前の初期のラジオ放送 が第三世代、真空管を使った電子製品の普及が第四世代、そして半導体エレクトロニクスが第五世代だ)。

私たちがもっとも必要とするもの

 歴史的な観点から見た評決に議論の余地はない。さまざまな発明とそれに続くイノベーションがなければ、現代社会がこれほどまでに生活の質を向上させることはできなかっただろうし、前例がないほどの長寿、富、教育、移動のしやすさを獲得することはできなかっただろう。

 19世紀半ば以降、次から次へと発明が相次ぎ、それが組み合わさった影響力は(量と世の中を変える質の双方において)最高値に達し、20世紀にはさらにそれが強化された。この時期は、きわめて広範囲にイノベーションが及んだ時代であり、社会にとってもっとも重要な発明(抗生物質、化学肥料、安価な鋼鉄、手ごろな価格の電気など)の恩恵を、いまや80億人に達した世界人口の大半が受けられるようになったのである。

 もちろん、数々の未解決の問題に取り組み、新たな課題に対処するには、もっと新しい発明が必要になるだろう。どんな課題があるのかリストを挙げようと思えば、ネットで検索するのが常套手段だが、そんな真似をしたところで「釣りタイトル」にだまされ、くだらない情報やSFのような絵空事につきあわされることになる。

 たとえば「ぺちゃんこにできて食べられるゼリー製カップ」、「宙に浮く雲の形のソファ」といった商品のコンセプトはSFにすぎないが、大真面目なリストのなかにも、まったく不要でSF的願望としか思えないものがある。そもそも、ほんとうに他人の心を読んだり、地球外生命体と交信したり、永遠に生きたりする必要があるのだろうか?

 不死の魅力については、ジョナサン・スウィフトの著書『ガリバー旅行記』を参考にするといい。この小説に登場するラグナグ国に暮らす不死人間ストラルドブラグ〔訳注:老いさらばえて世間から厄介者扱いされ、不死のまま悲惨な生活を送る人々〕の描写を読めば、不死の達成にどれほどの恩恵があるのか、疑問をもたざるをえないだろう。

 しかし、どうにか対処できるくらいの数であれば、解決すべき課題をリストにすべきだろう。そこで、最優先であるふたつの課題を基盤に、もっとも望ましいものを1、2点、挙げてみよう。

 まずは生物圏に過度の影響を与えることなく、世界中の人たちが尊厳ある生活を送るうえで必要な基盤を改善することだ。

 物質的には、低水準の平均寿命を引きあげ、健康な生活を送るために必要な食料、水、エネルギー、資材を十分に確保すること。精神的・社会的・経済的には、教育や雇用の機会を確保し、利用しやすく質の高い医療を提供すること。と同時に、地球上の人類が増えつづけているなかでも、ほかの種が長期にわたって生存できるよう充分な資源を残しておかなければならない。

 もっとも望ましい発明を選ぶうえでは、こうした考え方が道理にかなった枠組みになるのだろうが、それが実現したあとの影響を評価する世界共通の指標がないため、ブレイクスルーの必要性に明確な順位をつけることはできないし、類似したカテゴリーに分類することさえできない。

 ただし、健康、長寿、QOL(生活の質)の向上は、救命年数(LY)や質調整生存年数(QALY)という指標を利用して測定できる。QALYは、生存年数と生活の質をあわせて評価するための指標で、治療効果や費用対効果の分析に用いられる。

 だが、難治がんの治療法におけるブレイクスルーと、作物の遺伝学、電力の貯蔵、製鋼におけるブレイクスルーを、いったいどうやって比較すればいいのだろう?

 こうした発明のすべてが生活の質の向上に貢献するのは間違いない。というのも、QALYの向上には、栄養状態の改善、信頼の置ける電力供給が欠かせないし、鋼材をさまざまな方法で利用しなければならないからだ。

 しかし、どの発明がより重要か、どちらの発明が必須かを判断する共通の基準などない。現代社会はあまりにも複雑化していて、相互関係も密になり、互いに及ぼす影響も大きいため、個々の要因を単独でとらえるのがむずかしいのだ。だからといって、ただ単純にもっとも望ましい発明の候補を10~30個ほどに絞ったところで、たいして役には立たないだろう。

 個人がリストを作成すれば、どうしても好みや偏見が生じるし、グループでリストを作成すれば、与えられた枠のなかで明確な意見の一致を得るのはむずかしい。よって、おそらく私にできる最善のことは、発明によって解決しなければならない現代の課題の重要性を説明すると同時に、本書で伝えたい大切な教訓を何度も繰り返すことだろう。

 その教訓とは、コンピュータから携帯電話まで、マイクロプロセッサとそれに付随するデバイスの性能の指数関数的成長は、あくまでも例外であり、近年の発明の波に共通する現象ではないということだ。

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