ファルコン9ロケットの第2段からリリースされる「レジリエンス」Ⓒispace
民間企業によるロケット開発、人工衛星を利用した通信サービス、宇宙旅行など、大企業からベンチャー企業まで、世界のさまざまな企業が競争を繰り広げる宇宙産業。2040年には世界の市場規模が1兆ドルを超えるという予測もあり、成長期待がますます高まっている。本連載では、宇宙関連の著書が多数ある著述家、編集者の鈴木喜生氏が、今注目すべき世界の宇宙ビジネスの動向をタイムリーに解説。
今回は、2025年1月15日に月着陸機「レジリエンス」を打ち上げた日本の宇宙ベンチャー「ispace」に注目。史上初、民間資本のみで機体開発を進める同社独自の資金調達法とは?
※文中の日時はすべて協定世界時(UTC)。円換算は1ドル154円で算出。
目指すは「アジア初の民間」月着陸機
2025年1月15日に打ち上げられた日本の月着陸機「レジリエンス」は、現時点では月に向かう軌道上にある。宇宙開発企業ispaceによるこの機体は、予定通りいけば5月半ばに月周回軌道に入り、その後2週間ほどで月面に着陸する予定だ。
ispaceが月面着陸に挑戦するのは2023年4月に続いて2度目。前回のミッションでは高さ5kmの崖に遭遇した結果、着陸降下中に燃料が尽きて失敗したが、今回の着陸予定地点はクレーターが少ない平地であることから成功への期待度が高い。月の表側、北緯61度にある「氷の海」への着陸は、レジリエンスが史上初となる。
前回のミッションから現在までのわずか1年半の間に、各国各社によって計8機の月着陸機が打ち上げられた。その結果、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の「SLIM」(2024年1月着陸)が「日本初の月着陸機」となり、「世界初の民間月着陸機」の称号は米インテュイティブ・マシーンズ(IM)の「Nova-C」(同年2月着陸)に譲ることになった。ただし、レジリエンスが今回の着陸に成功すれば、「日本初」または「アジア初」の「民間月着陸機」として記録される。
700億円の資金調達
レジリエンスは特殊な軌道で月に向かう。まずは地球周回軌道(オレンジ)を航行した後、月の重量を利用して低エネルギー遷移軌道(ピンク)に入る。こうした軌道をたどることで少量かつ軽量な推進剤で月に到達でき、積載物の総量を増やすことが可能にⒸispace
2月12日、ispaceは同社における第3四半期の決算報告を行った。今回公表された売上高の通期予想は昨対90%増の44億6700万円。純損益の通期予想はマイナス107億6300万円。その赤字は前回予想から17億円改善されている。
宇宙機の開発には莫大な資金が必要となる。また、開発に着手してから売上が立つまでに長い期間を要するため、その間の事業を維持し、乗り切るためには資金力がキモとなる。
そのためispaceは利子の有無を問わず、これまでにあらゆる手段を講じて資金調達に取り組んできた。資金調達ラウンドの各シリーズはもちろんのこと、複数の金融機関によるシンジケートローン(協調融資)や短期的なブリッジローン(つなぎ融資)を活用し、2023年4月に東証グロース市場に上場してからは、海外機関投資家などへの第三者割当の他、上場企業として初めて日本政策金融公庫からも長期融資を受けている。
その結果、同社がこれまでに獲得した資金は約700億円。主要事業による黒字転換を目指す現段階においては、これら資金を糧として機体開発を進め、打ち上げ環境を整えている。
11kgで24億6400万円
2026年に予定されるミッション3で使用される新型の月着陸機「APEX 1.0ランダー」。ispaceの米国支社で開発中。全高は約3.3m。ペイロード積載可能容量はレジリエンスの10倍、300kgに拡張される予定。民間機として初となる月裏側への輸送に臨むⒸispace
主要事業である月面への輸送サービスにおいては、機体のペイロード(積載能力)が売上を大きく左右する。そのためispaceでは、現在2タイプの新型機の開発を日本と米国支社の双方で進めている。
月に向けて航行中の現行機「レジリエンス」は高さ2.3m、最大直径2.6m、燃料を含まない機体重量は340kgという機体だが、その最大ペイロードは30kgとされる。これに対して開発中の2機はどちらも300kg以上が予定され、将来的には両機とも、機体改良などによって最大約500kgを目指す。
300kgになれば現行機の10倍、500kgであれば17倍となるが、それは同時に1機当たり、または1ミッションにおける売上アップも意味する。
ただし、今回のミッション2におけるレジリエンスの契約ペイロードの総質量は計11kgであり、最大積載量である30kgの約3分の1に留まる。もしその能力を最大に生かすことができれば、今回の輸送契約料の総額1600万ドル(24億6400万円)は3倍に跳ね上がるが、そこにはマーケティング機会、セールス能力の他、積載物に起因する制約も発生するため、常に最大の売上を達成することは難しいというジレンマもある。
開発中の新型機2機は、2026年に予定されるミッション3以降で継続的に使用される予定のため、機体の開発、製造、運用にかかるコストは大幅に圧縮されるはずだ。実際、ミッション1とミッション2を比較すると、機体の開発期間は約40%短縮され、開発コストは50%削減されている。
民間資本のみのミッション
今回のミッション2におけるレジリエンスのシーケンス図。月周回軌道へは2025年5月中旬に投入される予定。「氷の海」への着陸は5月下旬から6月上旬が見込まれるⒸispace 拡大画像表示
ispaceの事業で特筆すべきは、これまでのミッションにおいては政府機関からの支援金を得ることなく、民間資本のみで行ってきた点にある。
旧ソビエトのルナ24号が1976年に月面に着陸して以降、今回打ち上げられたレジリエンスと米国ファイアフライのブルーゴーストを含めて計15機の機体が月面着陸を試みてきたが、うち9機は日本、中国、インド、ロシアの政府系組織によるもの。残る6機は民間企業による機体だが、うちイスラエルの1機と米国の4機は政府系組織からの援助金を受けている。つまり民間資本だけで月着陸に挑んだのは宇宙開発史上、ispaceの2機だけだ。
ただし、2026年に予定されるispaceのミッション3の機体は、NASA(米航空宇宙局)の商業月面輸送サービス(Commercial Lunar Payload Services, CLPS)の一環として打ち上げられる。
CLPSとは、民間企業が月輸送サービスを構築するためのNASAの支援制度。在米企業だけを対象としたものだが、ispaceにおいては同社の米国支社が米国の非営利企業チャールズ・スターク・ドレイパー研究所と提携し、同研究所が契約主体となることによってNASAから6200万ドル(95億4800万円)の支援金を得ることに成功している。
また、ispaceのミッション4では、日本のSBIR制度(旧:中小企業技術革新制度)に選定されたことにより、その機体開発などに対して最大120億円の補助金が交付されている。
こうした公的な補助金を活用することで、ispaceは長期にわたる持続的な事業活動をより円滑に進め、その間に本来の事業である月輸送サービスによる黒字転換を図る。ペイロードの月面輸送を委託するクライアント以外にも、ispaceの活動に賛同する組織も着々と増加しつつあり、米国、台湾、韓国、モンゴルの政府組織や民間企業とは「MOU」と呼ばれる戦略的協業に向けた基本合意を締結。月と地球間に経済圏を構築することを意識する世界の輪が、ispaceを軸として拡がりつつある。
「月保険」の契約と、NASAへのレゴリス販売
月着陸機「レジリエンス」に搭載されるマイクロローバー「テネシアス」。車両前部のスコップでレゴリスを採取し、その所有権をNASAに販売するⒸispace拡大画像表示
ispaceのミッションでは「月保険」も導入されている。三井住友海上火災保険(MSI)と契約を交わすこの月保険は、前回のミッション1が世界初の第一号案件となり、今回のミッション2が第二号案件となる。
この保険は月ミッションに臨む民間企業を持続的に支えることを目的に、ispaceとMSIが共同で開発したものであり、今回の保険金額は21億6084万円。その適応期間は打ち上げに始まり、高度100kmの月周回円軌道に投入されたことが確認されるまでがカバーされる。
また、今回打ち上げられたレジリエンスには、政府機関や民間企業から委託されたペイロードの他、ispaceが自社開発したマイクロローバー「テネシアス」も搭載されている。質量5kgのテネシアスの動きは、ルクセンブルクにあるispaceの欧州支社から制御され、母船であるレジリエンスの周辺を探査、撮影する。
車両のフロント部に搭載されたスコップでレゴリス(月の砂)を採取するが、その所有権はNASAに売却される。NASAにそのレゴリスを回収する予定はないが、この取引自体は、月資源における世界初の国際商取引となる。
今回の打ち上げでは、1機のファルコン9ロケットに2社の民間月着陸機が搭載されたが、これも初のケースとなった。レジリエンスとともに打ち上げられたのは「ブルーゴースト」。2機は約1時間の差をもって第2段ロケットからリリースされたが、月へ向かう軌道が大きく異なるため、ブルーゴーストは3月2日の月面着陸を予定している。
3月2日にはブルーゴーストが月面着陸の先陣を切り、5月末から6月初旬にかけてレジリエンスが2度目の着陸に臨み、また2月27日には、NASAの支援を受ける米IMが、同社2機目の月着陸機「NOVA-C」の打ち上げを予定している。
イーロン・マスク氏の進言を受けたトランプ大統領が、3月の予算教書で米国の宇宙政策に大幅な変更を加えると思われるが、アルテミス計画自体は継続されると予想され、今後しばらくは月面への物資輸送サービスは、引き続き活況を呈するに違いない。
