フランスの哲学者・政治思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)
写真提供:©Vincent Isore/IP3 via ZUMA Press/共同通信イメージズ ※Belgium, Denmark, France and Germany Out

 大企業の経営幹部たちが学び始め、ビジネスパーソンの間で注目が高まるリベラルアーツ(教養)。グローバル化やデジタル化が進み、変化のスピードと複雑性が増す世界で起こるさまざまな事柄に対処するために、歴史や哲学なども踏まえた本質的な判断がリーダーに必要とされている。

 本連載では、『世界のエリートが学んでいる教養書 必読100冊を1冊にまとめてみた』(KADOKAWA)の著書があるマーケティング戦略コンサルタント、ビジネス書作家の永井孝尚氏が、西洋哲学からエンジニアリングまで幅広い分野の教養について、日々のビジネスと関連付けて解説する。

 第10回は、フランスの哲学者・政治思想家ジャン=ジャック・ルソーが1762年に著した『社会契約論』を取り上げる。ルソーの「一般意志」の考え方は、組織の全員が納得して合意形成する上で、どう参考になるのだろうか?

ロックが提唱した自由民主主義に、「違う」と反論したルソー

 私たちは組織の中で、意見を出し合って合意形成している。この合意形成はなかなか難しい。「民主主義的に多数決で決めよう」と考える人も多いが、納得できず不満な人がいたりするとあとあと問題になることも多い。

 私たちは日頃、何気なく「民主主義」という言葉を使っているが、教養を学ぶと普段使っているこの言葉の本質をより深く理解できるのだ。

『社会契約論』(ルソー著、中山元訳、光文社古典新訳文庫)

 今回は、前回に続いて民主主義がテーマだ。フランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーの著書『社会契約論』(中山元訳、光文社古典新訳文庫)を取り上げて、組織における合意形成のあるべき姿を考えてみよう。

 前回、ジョン・ロックが提唱した自由民主主義思想を紹介した。おさらいすると、ロックは「人間は誰もが自由だが一人では生きられないので、国家という社会をつくり、その社会と契約している」と考えた。

 そして国家を運営する政府に、社会が守るべきルールの制定(立法権力)と、そのルールの執行(執行権力)を任せて社会が回る仕組みを作り、こうした権力を持つ人を自分たちの中から選挙で選んで、政府に代表者を送ればいい、と考えた。私たちが選挙で政治家を選ぶのは、ロックが提唱したこの仕組みに基づいている。

 このロックの思想に猛然と反対したのが、ルソーである。

 ルソーは「ロックのやり方は、私たちを奴隷にするだけで、真の民主主義なんて実現できない」と反論し、人民主権の理想像を提唱した。

 ちなみにルソーが活躍した18世紀当時のフランスは、国王ルイ15世が国を支配し、2%の貴族と聖職者が、98%の貧しい民衆から税金を取り立て優雅に暮らす、実に不平等な超格差社会で、民主主義など影も形もなかった。こんな中で理想国家が実現可能であることを示すために、ルソーが1762年に刊行したのが『社会契約論』である。本書は、ルソーが逝去して11年後の1789年に起こったフランス革命で理論的な柱になった。

 このルソーの思想が分かれば、私たちは合意形成のあるべき姿をより深く学ぶことができるのだ。

ルソーの「一般意志」とは?

「代議士制なんて論外」と主張したルソーは、こう言った。「自分の権利を信託するなんて絶対にダメでしょ。直接話し合って、一般意志に従った直接民主制をすべきじゃないの?」

 この一般意志がルソー思想の勘所だ。ただこの一般意志の概念はなかなか分かりにくい。こんな事例で考えてみよう。今度の大型連休で、家族が旅行先を話し合っている。

夫「温泉がいいなぁ」

妻「私は非日常感がいいから、海外旅行に行きたいわ」

子ども「テーマパークに行きたい」

 話がまとまらない。そこでルソーが考えた個別意志、全体意志、一般意志で整理してみよう。

【個別意志】
 各自の意志のことだ。夫・妻・子どもの3人は、各自の意見(=個別意志)を持っている。ここで多数決で決めるのは最悪。納得しない人が出てきて、あとあと必ずもめる。

【全体意志】
 3人の個別意志が「じゃあ、テーマパークにしよう」と一致すれば、それは全体意志になる。しかし全体意志はたまたま個別意志が一致しただけであって、「組織(家族)の意志」とは言えない。もしかしたら夫と妻が妥協していて、心から旅行を楽しめないかもしれない。

【一般意志】
 個人が自由な意志を持つように、組織が一つの精神的存在として持つ意志のことだ。これは全体意志と違う。全員で異論を出し合って議論しない限り、組織の一般意志は決まらない。

 例えば当初は意見が違っても、話し合った結果、「行き先は、歴史的な街並みや美しい風景が楽しめる国内観光地にしよう。初日は地元のテーマパークに行って、2日目は温泉でゆっくりする。次回の大型連休では海外に行く」で3人が納得すれば、それが一般意志になる。

 この例で分かるように、重要なのは意見の一致や多数決ではない。意見の違いなのだ。異なる意見を持ち寄り議論することで、初めて一般意志が生まれる。ルソーの一般意志の考え方は、組織で全員が納得して合意する上で、実に参考になる。

出典:『社会契約論』を参考に筆者が作成
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 そしてこの一般意志は、国家でも重要なのだ。

ルソーが指摘した、現代の政治の問題点と解決策

 ルソーは「国家は公益を目的として設立されたものであり、この国家のさまざまな力を指導できるのは、一般意志だけだ」と述べている。

 社会は家族よりもはるかに複雑だ。さまざまな人が、さまざまな利害を持つ。一方で共通利益を追求するために、社会がある。だから社会も共通の利益を目指す一般意志を追求し続けるべきなのである。そこで「法」が必要になる。ルソーはこう述べている。

「あらゆる立法の体系は、すべての人々の最大の幸福を目的とすべきであるが、この最大の幸福とは正確には何を意味するかを探ってゆくと、二つの主要な目標、すなわち自由と平等に帰着することがわかる」

 このように最大の幸福(自由と平等)のために国民の意志で定めた法に基づいて統治される国家が法治国家だ、とルソーは考え、理想の法治国家の在り方として、古代ローマを例に挙げる。

 ローマは理想的な法治国家だった。市民40万人が住むローマでは、市民は週数回の集会を開き、行政官として公共の場にも集まった。市民は頻繁に集会して政治的課題を話し合った。ローマの前に繁栄した古代ギリシャでも、ポリス(都市国家)では人民が絶えず広場(アゴラ)に集まって議論した。当時は市民の代わりに奴隷が労働をしていた。労働から解放された市民は、自分の自由に関心を持ち、積極的に政治に関わったのだ。

 ルソーが理想とする民主主義は、こうして人民が自ら政治に関わり、国家の一般意志のあるべき姿を議論する直接民主主義なのである。こうして決まった一般意志が、国家の意志だ。「だから個人は全ての権利を一般意志に差し出して、100%従うべきだ」とルソーは主張した。

 人民は積極的に政治に関わるべきだと考えたルソーにとって、代議士を選挙で選び、国家権力を委託する代議士制は大間違いなのだ。

 政治の在り方を決める主権は、人民一人一人が持つ。本来この主権は、誰にも譲渡できない。譲渡できない以上、人民が選ぶ代議士は人民の代表でなく、代理人に過ぎない。人民の代わりに最終決定を下すこともできない。そう考えたルソーは、本書でこう述べて暗にロックを批判する。

「イギリスの人民はみずからを自由だと考えているが、それは大きな思い違いである。自由なのは、議会の議員を選挙するあいだだけであり、議員の選挙が終われば人民はもはや奴隷であり、無にひとしいものになる」

 この指摘は、現代の民主主義が直面する問題でもある。政治家が国民に向き合うのは、選挙期間中のみ。真摯に選挙民に向き合って公約実現に取り組む誠実な政治家もいるが、できもしない選挙公約を約束し、当選した途端に破る議員もいる。こんな政治家個人の資質に頼る現代の民主主義は、理想の仕組みとは言えない。

理想の政治を実現する3つの条件

 一方で選挙民側にも問題がある。「忙しい」と言って政治の議論には関わらず、代議士に一任している。選挙に行かない人も多い。実際に投票率は下がる一方だ。ルソーは、こう述べている。

「わたしたちのような近代人は奴隷を所有しないが、諸君自身が奴隷なのだ。わたしたちはみずからの自由を売って、奴隷の自由を買っているのである。そのほうがよいのだと自慢しても空しい。わたしはそこに人間の姿ではなく、卑屈さをみいだすからだ。(中略)人民が代表をもった瞬間から、人民は自由ではなくなる。人民は存在しなくなるのだ」

 実に耳が痛い。そこでルソーは、理想の政治(=真の民主政)を実現する3つの条件を挙げている。

  1. 非常に小さな国家で、人民がすぐ集会を開くことができ、互いに知り合いになれること
  2. 人民の習慣が素朴で、さまざまな議論をせずに多くの事務を処理できること
  3. 地位や財産はほぼ平等なこと

 改めて考えてみると、日本では人口が少ない都道府県ほど、この条件を満たしている。実際、最近は強いリーダーシップを発揮する都道府県知事が数多く現れている。地方主権は、真の民主主義に近づく一つの方法なのだろう。私たちも、まずは身近な地域の政治に関わるところから始めるべきなのだ。

 そして①~③の条件をより満たしている組織がある。それは、私たちビジネスパーソンが日々接している会社内のチームである。私たちは日々のビジネスで、チームとしての「一般意志」を追求すべきなのである。