写真提供:日刊工業新聞/共同通信イメージズ
デジタイゼーション、デジタライゼーションを経てデジタル化の最終目標となるデジタルトランスフォーメーション(DX)。多くの企業にとって、そこへ到達するためのルート、各プロセスで求められる施策を把握できれば、より戦略的に、そして着実に変革を推し進められるはずだ。
本連載では、『世界のDXはどこまで進んでいるか』(新潮新書)の著者・雨宮寛二氏が、国内の先進企業の事例を中心に、時に海外の事例も交えながら、ビジネスのデジタル化とDXの最前線について解説する。第9回は、細胞医薬品の製造において自動化・量産化の最先端をいくアステラス製薬のAI、ロボット活用に迫る。
ロボットを活用したアステラス製薬の創薬研究
医薬品業界では、一般的に、一つの新薬を生み出すのに、9年から17年の期間と数百億円から1000億円程度の投資が必要とされます。その成功確率は約3万分の1と極めて低く、開発には膨大な試行錯誤が繰り返され、労働集約的な作業が多いというのが実態であることから、長年、新薬の開発プロセスを自動化することが大きな課題となっています。
こうした人手による作業を人工知能の導入により自動化することで開発期間の短縮に成功したのが、アステラス製薬(アステラス)です。
アステラスでは、画像解析技術やロボットを使った独自システム「Mahol-A-Ba(まほらば)」を活用して、アジャイルな創薬研究を実現しています。この名称は、日本の古語「まほろば(理想郷)」にちなんでおり、ヒト型ロボット「Maholo(まほろ)」を活用したアステラス(A)のプラットフォーム(場=Ba)という意味が込められています。
まほらばは、人、人工知能(AI)、ロボットの三者が協働する新しい創薬プラットフォームで、病気の原因となる標的分子に結合しやすい化合物(ヒット化合物)から、医薬品としての適性を高めた化合物(医薬品候補化合物)取得までの期間を、従来に比べ最短で70%短縮することに成功しています。
具体的には、創薬の各工程は、AIと2本のアームを自在に操るまほろを活用して進め、要所で研究者がアイデアや総合的判断などの価値を加える仕組みを採ります。すなわち、AIによる化合物の構造設計(Design)、まほろによる化合物の自動合成(Make)、AIによる化合物の薬理作用などの評価(Test)、AIによる化合物特性の解析と予測(Analyze)を経て、その結果から次のより良い化合物を設計するという「DMTAサイクル」を回すことで、創薬スピードを飛躍的に向上させています。
この創薬プラットフォームであるまほらばを求心力にして、アステラスは近年、「細胞医薬品」を安価で量産化する体制を構築する取り組みに着手しています。
細胞医薬品は、生きた細胞そのものを患部に移植し、正常な働きをする組織や臓器を再生させるのに利用され、iPS細胞やES細胞(胚性幹細胞)などの多能性幹細胞から作られる医薬品であることから、低分子化合物から成る一般的な医薬品とは異なります。
特に、多能性幹細胞を増殖させ、臓器や神経などの治療に使う目的の細胞に分化させた上で、治療に適した細胞を選別するという工程を取るため、目的細胞の分化と選別作業には繊細さが求められます。さらに、その再現性も低いことから、熟練の職人技を持つ作業員が必要となります。
そのため、これまで細胞医薬品の製造を自動化することは難しいとされてきましたが、双腕ロボットであるまほろを導入して、自動化による量産体制を構築することに成功しています。これは、世界でも例がないことから、アステラスがその先駆者となります。
京大iPS細胞研究所と進める共同研究
このように、細胞医薬品の製造には人手がかかることから、固定費が医薬品の価格に転嫁され高額になっているというのが実態でした。例えば、再発または難治性の多発性骨髄腫に効用が認められる「アベクマ」(一般名「イデカブタゲン ビクルユーセル」)は、2022年1月に承認されていますが、価格は3000万円を超えています。
アステラスが先駆者となり、量産体制を確立することができれば、こうした高止まりする価格を下げることが可能となり、細胞医療の普及が促進されることになります。
量産体制は、アステラスの創薬部門の研究拠点である「つくば研究センター」が起点となります。ここでは、まほろの導入が2017年から開始されており、これを活用することで細胞医薬品の量産化が進められることになります。
職人技を持つ作業員がこれまで長時間にわたり精緻に繰り返し行ってきた細胞の培養に加え、数週間から数カ月を要するとされる目的細胞の分化と選別作業をまほろが代替することで、細胞医薬品の大量生産が可能となりました。
細胞医薬品の製造工程においては、細胞の培養や選別作業などに加え、温度管理や品質管理なども求められることから、熟練作業員であっても技量に差があり、これまでにも作業ごとの精度にブレが生じることもありました。
しかし、まほろの活用により、熟練作業員以上の高精度のデータ取得が可能になったことから、実験回数も、100~1000倍と飛躍的に多くこなせるようになり、細胞の培養の成功率についても、これまでの50%程度から80~90%にまで高まっています。
量産体制の構築は、社内だけに留まるものではなく、社外にも広がりを見せています。iPS細胞の創薬で2023年に連携を果たしている京都大学iPS細胞研究所(CiRA)には、すでにまほろを設置し、つくば研究センターと連携しながら、効率的な分化や選別に加え、治療薬候補の選出などについての共同研究が進められています。
また、つくば研究センター内に新たに、「SakuLab(サクラボ)」を設立して、バイオテックのスタートアップやアカデミア(研究者)が研究できる環境を提供しています。
サクラボに入居すれば、生物系・化学系の実験施設・動物施設などが利用できるだけでなく、創薬の専門家によるサポートなども受けられることから、ネットワークの構築だけでなく、オープンイノベーションの創出を図ることが可能となります。
こうした動きから、アステラスがつくば研究センターを基点として、創薬の一大エコシステムを構築して細胞医療分野の研究を強化していくとの意向が読み取れます。
安川電機と協議するプラットフォームの開発
アステラスは、このエコシステムを強化するために、2024年5月には、安川電機と、「医薬品およびロボット工学技術の統合による革新的な細胞治療エコシステムの創造に関する協議」に入ることに合意したことを発表しています。
アステラスが2017年以来導入しているまほろは、安川電機の子会社であるロボットバイオロジー研究所が開発したものであることから、まほろの活用により、これまで両社の間で進めてきた細胞治療の医薬品発見と製造技術の研究を、商業化に結びつけるためのプラットフォームの開発を協議するに至ったわけです。
アステラスが細胞の製造技術や治験開発、規制に関する知見を提供し、安川電機が、最先端のロボットやファクトリーオートメーションなどの技術を提供・開発することで、この協議は進められることになります。
まほろを核とした「セル型製造プロセス」では、細胞の培養や目的細胞への分化・選別に伴う、細胞の観察や剥離、回収に加え、遠心濃縮、細胞数計測、細胞播種(はしゅ)といった全ての作業を1台のロボットで行える上、複数の製品にも対応が可能となります。
こうした自動化によるプラットフォームの商用化が、両社の協創により実現することになれば、細胞医薬品の開発期間を最大で数カ月短縮することができ、1製品当たり約40億円の利益を生み出すことが可能との見方もあります。
構築されたプラットフォームが、スタートアップや学術界により活用されることで、両社が目指す革新的なエコシステムの確立が果たされることになります。
政府も医療分野のデジタル化推進を支援
このような民間の動きに呼応して、政府も医療分野のデジタル化推進を支援する取り組み策を打ち出しています。厚生労働省が2024年7月に発表した、医療分野のDXを推進する組織を2025年に設立する計画もその一つです。
具体的には、現在ある特別民間法人、社会保険診療報酬支払基金を改組して、医療データ活用の基盤となるシステムを運用する組織として、新たに「医療DX推進機構(仮称)」を立ち上げるというものです。
社会保険診療報酬支払基金では、全国の医療機関との間で診療報酬を請求するために、すでに光回線がつながっていますが、新組織では、この回線を利用して、電子カルテや電子処方箋のデータを管理するためのシステムを運用していくことになります。
患者の治療や処方箋に関するデータが全国から集約することが可能になれば、薬の危険な飲み合わせなど、安全上のリスク回避につなげられるだけでなく、新薬の開発にも生かせることが期待できます。
海外では、すでに米国や英国などで同様な医療データベースがシステム化されており、治験や研究開発に活用されています。
問題は、治療や薬の処方などに関わる詳細な情報をデジタル化してビッグデータとして集約することが可能かどうかです。システム構築が実現して、医療機関だけでなく企業や自治体などでも活用できることになれば、医療分野のデジタルバリューチェーンの構築は、さらに進むことになります。
こうした政府の取り組みは、分析可能な情報が格段に増えるという点で、アステラスのエコシステムの可能性をさらに広げることになります。産官学が一体となることで、医療分野におけるデジタルバリューチェーンの完成度が高まれば、革新性がさらに発揮され、医療の質や安全性の向上につなげることが期待できるでしょう。
