NECフェロー 今岡仁氏(撮影:内藤洋司)NECフェロー 今岡仁氏(撮影:内藤洋司)

 世界で生成AIの利活用が進む一方、大きく後れを取る日本のデジタル競争力。NECフェローの今岡仁氏は、その原因の1つとして「エシックス(倫理)」の不在を挙げる。前編に引き続き、2024年2月に著書『デジタルエシックスで日本の変革を加速せよ──対話が導く本気のデジタル社会の実現』(ダイヤモンド社)を出版した今岡氏に、エシックスの効力と活用のヒントを聞いた。(後編/全2回)

【前編】人を陰で誘導しようとしていないか? NECフェロー今岡氏が語る「自問自答する企業」がデジタル競争力を高められる理由
■【後編】伊藤園×NECの「感情を分析するAI自販機」、実証実験で分かったユーザーの「意外な心情」(今回)

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デジタル先進国デンマークの企業に学ぶ「エシックスの思考法」

──前編では、現代のデジタル活用においてエシックス(倫理)が求められる背景や、エシックスについて議論を深めるための方法について聞きました。著書『デジタルエシックスで日本の変革を加速せよ』では、デジタル先進国と呼ばれるデンマーク企業がエシックスを活用する事例を紹介していますが、具体的にどのようなケースがあるのでしょうか。

今岡 仁/NECフェロー

1997年NEC入社。入社後は脳視覚情報処理に関する研究に従事。2002年マルチメディア研究所に異動。顔認証技術に関する研究開発に従事し、NECの顔認証技術を応用した製品「NeoFace」の事業化に貢献。2009年より顔認証技術に関する米国国立標準技術研究所主催のベンチマークテストに参加し、世界No.1評価を6回獲得。2019年、史上最年少でNECフェローに就任。2021年4月よりデジタルビジネスプラットフォームユニット及びグローバルイノベーションユニット担当、生体認証にとどまらず、AI・デジタルヘルスケアを含むデジタルビジネスに関する技術を統括。東北大学特任教授(客員)、筑波大学客員教授として研究者教育に従事。

今岡仁氏(以下敬称略) 例えば、デンマーク最大級のIT企業であるKMDでは、危険な製品を販売しているオンラインショップを探し出すAIソリューションを開発しました。安全性が不十分な製品の販売を防ぐために、「毒性のある化粧品」や「子どもが誤飲する恐れのある小さなおもちゃ」といった高リスクな製品を早期に発見するのです。

 こうしたソリューションを世に出そうとすると、AIが安全な製品に対して誤った判断をした場合に「誰が責任を取るのか」という問いが付きまといます。日本の場合、多くの人が「責任を取りたくない」と考える傾向にあり、100%に近い精度が担保できない限り、議論が停滞し、製品の市場投入は先送りになることが想定されます。

 しかし、デンマークではそのような場合、「判定が誤っていた場合にはどうするか」「導入しないことによって、どんなリスクが発生するのか」「導入しないメリットと比較した場合、どう判断すべきか」など、さまざまな視点から議論が行われるのです。その結果として、「今の状態では導入できないので、製品をカスタマイズしよう」という具合に、第三の道を見つけることも少なくありません。

 日本における議論では「0か100か」という極端にどちらかを選択するディスカッションになることが多いため、思考停止に陥りやすく、そもそも議論が深まらない点にこそ、真の問題があると考えています。

 そこに拍車をかけるのが「AIの特性」です。デジタルは「0か1か」で判定を出すため、結果は明快です。しかし、AIが導き出す結果は曖昧であり、その曖昧さに対処するコンセンサスができていません。そのため、「何が良くて、何が悪いのか」という点が分かりにくく、議論にまで発展しないのです。

 だからこそ、まずはデンマーク企業の事例から学び、「デジタルエシックスコンパス」を活用することが有効だと考えています。(前編:「人を陰で誘導しようとしていないか?  NECフェロー今岡氏が語る「自問自答する企業」がデジタル競争力を高められる理由」を参照)

 日本のデジタル競争力は低下傾向にありますが、デジタルエシックスコンパスの視点を採り入れることで、議論の中で共通のコンセンサスを形成し、AIの活用が進めば、もう一度勢いを取り戻すことができるはずです。

「感情を分析するAI自販機」に消費者から寄せられた“意外な反応”

──著書では、伊藤園とNECの共創プロジェクトにおいて「次世代自動販売機」を検討した例を紹介しています。消費者の体験価値を考える上で、エシックスの観点はどのように影響したのでしょうか。 

今岡 このプロジェクトは、さまざまなデジタル技術を活用し、消費者に飲料にとどまらない「新たな価値」を提供するためのものでした。そして、自動販売機を通じて消費者にリフレッシュできる体験を提供する目的で採用したのが「感情分析技術」です。

伊藤園とNECは次世代自動販売機の検討プロジェクトにおいて、人間の表情からの「感情分析技術」を活用した(写真提供:共同通信イメージズ)伊藤園とNECは次世代自動販売機の検討プロジェクトにおいて、人間の表情からの「感情分析技術」を活用した(写真提供:共同通信イメージズ)

 この技術は「消費者の表情を画像解析することで感情を推定する」というものです。その結果を基に、飲料をお勧めする機能を考えていました。この機能を搭載した自動販売機で実証実験を行ったところ、目新しさも手伝っておおむね好評だったものの、一部の方から「気分を判定されることに抵抗を感じる」という意見を頂きました。

 その結果を受けて議論を重ねたところ「全てのユーザーに感情分析機能を使ってもらうのではなく、ユーザー側で選べることが大事である」という結論に至り、「機能を使わない(利用を拒否できる)」という選択肢も付け加えました。

 通常、各機能はユーザーに使ってもらうために搭載するのですが、全員が「使う」という選択しかできないことは必ずしも望ましくありません。「使わない」という選択肢を用意することも大切なのです。「感情分析機能を使わない」という機能はエシックスの観点から生まれたものであり、ユーザーにとっての価値になります。  エシックスの観点から、ユーザーの意見を集めて議論を行うことで、結果としてユーザーへの提供価値を高めることができたと考えています。

部門間での議論にもエシックスの観点を採り入れる

──組織全体にエシックスを浸透させようとする場合、組織のリーダーはどのような取り組みを進めるべきでしょうか。

今岡 組織全体に目を向けた時、課題になりやすいのは異なる部門間での議論ではないでしょうか。部門が異なると、それぞれのミッションも異なるため、互いの立場を主張するだけでは議論が進みません。

 例えば、管理部門がAという見解を出し、技術部門はBという見解を出したとします。双方がそれぞれの立場から正しさを主張する限り、いつまでたっても合意には至りません。結果として、「この技術を市場に出すのはやめましょう」という状態になりかねないのです。

 一つのプロダクトを作るときには、法務も技術も含め、大事な要素がたくさんあります。それらの全ての要素の落とし所をバランスよく見つけることが重要です。その落とし所を見つけるためにエシックスを活用し、共通の立場から柔軟に議論を進めることが大切だと思います。

──共通の立場から落とし所を見つける上でも、エシックスの思考は有効なのですね。

今岡 そうですね。その他にも「このサービスは炎上するかもしれない」という懸念が生じた際にもエシックスを活用することができます。

 炎上リスクが生じた場合、議論の土台となる論点がなければ議論すらままなりません。そもそも「炎上」がどのような結果を指すのか明確ではありませんし、法律で規定されている部分でもありません。ここで「我々にとっての炎上とは何か、どのような点が問題なのか、意見を交わしましょう」という話になれば、対策を打つ方向性も見えてきそうですよね。

 黒でも白でもない、グレーな部分を部門間や関係者間で議論するためにもエシックスは有用なツールになります。

──エシックスの観点から対話を進めれば、生産的な議論を進めることもできそうです。

今岡 ある人に「デジタルエシックスは不思議な言葉だ」と言われたことがあります。「0か1か」で表現されるデジタルと、曖昧模糊としたエシックスを組み合わせた言葉ですから、確かに不思議に感じるかもしれません。

 しかし、テクノロジーの進化によって生み出されたAI技術自体が曖昧模糊としたものですから、デジタルとエシックスは相反する概念ではないと言えるでしょう。

 エシックスについて議論することは、日本ならではの良い方法を見つけ出すための第一歩になるはずです。エシックスを活用して混沌とした課題を少しずつクリアにしていくことが、日本の社会の発展につながると信じています。

【前編】人を陰で誘導しようとしていないか? NECフェロー今岡氏が語る「自問自答する企業」がデジタル競争力を高められる理由
■【後編】伊藤園×NECの「感情を分析するAI自販機」、実証実験で分かったユーザーの「意外な心情」(今回)

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