早稲田大学商学学術院 経営管理研究科 教授 長内厚氏(撮影:木賣美紀)
世界最先端の「2ナノ半導体」量産を目指す国策企業ラピダス(Rapidus)。日本の半導体産業の復権の鍵を握ると言われるが、早稲田大学商学学術院経営管理研究科教授の長内厚氏は、同社の経営戦略には問題があると指摘する。一方で長内氏が「見習うべき」とするのは、台湾TSMCの子会社JASM(Japan Advanced Semiconductor Manufacturing)だ。2024年4月、著書『半導体逆転戦略 日本復活に必要な経営を問う』(日経BP 日本経済新聞出版)を出版した同氏に、ラピダスとJASMの比較を通じて、日本の半導体産業復活に必要な経営戦略の在り方について聞いた。(前編/全2回)
■【前編】最先端ではなく「10年前の半導体」を作るJASMに政府が大型投資をする納得の理由(今回)
■【後編】ソニー「CMOSセンサー」成功の秘密、4代目岩間社長から継承した「引き算の発想」とは
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大規模生産を目指さない「ラピダス」が抱える不安
――著書『半導体逆転戦略 日本復活に必要な経営を問う』の序盤では、日本の半導体産業の復権に向けて大きな注目を集めているラピダスと、台湾TSMCの熊本工場を運営する子会社、JASMの経営戦略を比較しています。序盤ではラピダスの経営戦略について触れていますが、そもそも何が課題なのでしょうか。
長内 厚/早稲田大学大学院経営管理研究科教授京都大学経済学部卒業。1997年ソニー株式会社入社後、映像関連機器部門で商品企画、技術企画、事業本部長付商品戦略担当、ソニーユニバーシティ研究生などを歴任。筑波大学大学院(修士(経営学))、京都大学大学院(博士(経済学))で経営学を学び、神戸大学経済経営研究所准教授を経て2011年より早稲田大学ビジネススクール准教授。2016年より早稲田大学大学院経営管理研究科教授。早稲田大学IT戦略研究所研究員・早稲田大学台湾研究所研究員を兼務。ハーバード大学客員研究員、東海大学(台湾)訪問教授、京都大学経営管理大学院研究員、組織学会評議員、国際戦略経営研究学会理事などを歴任したほか、ソニー株式会社外部アドバイザー、台湾奇美実業グループ新視代科技顧問、ハウス食品グループ本社株式会社中央研究所顧問、(財)日本台湾交流協会貿易経済部日台ビジネスアライアンス委員なども務めた。現在、ビジネス・ブレークスルー大学客員教授、総務省情報通信審議会専門委員、ハノイ外国貿易大学客員教授(ベトナム)、学校法人ソニー学園総合研究センター副センター長も務める。主な著書に長内厚・榊原清則編著(2012)『アフターマーケット戦略』(白桃書房)、長内厚・神吉直人(2014)『台湾エレクトロニクス産業のものづくり』(白桃書房)など。世の中の様々な事象を経営学を使って読み解く、YouTubeチャンネル「長内の部屋」を開設し発信中。
長内厚氏(以下敬称略) ラピダスの課題は3つあると考えています。1つ目は「超最先端技術である2ナノメートルプロセスの半導体を、本当に作れるのか」という点です。
現在、日本が自力で作れるのは「40ナノ」が限界です。それにもかかわらず、途中のプロセスを飛び越して「2ナノ」を作るのは安易な発想ではないでしょうか。
日本が先端半導体を目指す必要はないということではありません。1980~90年代に活躍した半導体エンジニアが残っている今のうちに先端半導体開発を目指すラピダスの試みは重要です。
ただ、野心的な目標ではありますが、県大会にも出たことのないスポーツ選手がオリンピックに出ようとするくらい無謀なこととも言えます。
2つ目は「大規模な生産を目指さない」という点です。ラピダスは規模を追わない少量多品種生産を目指す、としています。しかし、半導体産業は装置産業という特性を持つため「大量生産による低コスト化」が収益の鍵です。そうした前提がある中で「数を追わない」という戦略がどこまで成り立つのか、率直に疑問です。
しかも、2ナノについては、サムスン電子やTSMCが2025年の製造開始を明言しています。そうなったときに、大量生産を得意とするサムスン電子やTSMCに対抗できるのか、現時点では根拠が見当たらないのです。
3つ目は「誰に売るのかが明確でない」という点です。言い方を変えれば「良いものさえ作れば売れる、という“技術信仰”に縛られているのではないか」ということです。
このままでは、一歩間違えると「良いものを作ってはみたけれど、結局あまり売れなかった」という、これまで日本企業が繰り返してきた失敗パターンに陥りかねません。ラピダスは今後、アメリカに営業拠点を設けてマーケットを広げる計画とのことですが、それは簡単なことではないように思います。
ラピダスという企業にとって、本来2ナノを作ることは最終目的ではないはずです。あくまでも2ナノを作ることは手段であり、そこからいかにして「経済的な利益を持続的に生み出せるか」が最終ゴールであるべきなのです。
JASMの経営戦略が「ラピダスとは対極をなす」と言われる理由
――著書では、JASMの経営戦略がラピダスと対極をなす、と述べています。JASMの経営戦略の特徴はどのような点にあるのでしょうか。
長内 JASMの経営戦略は「最先端ではなく最多需要の獲得」を目指している点が特徴です。JASMが作る製品は22~28ナノですから、10数年前に“最先端”と言われた、世代でいえば4~5世代も前の古いものです。
では、なぜJASMが古い技術の半導体を作るのか、という点が重要です。この22~28ナノの半導体は、現在最も需要の大きい半導体なのです。
このレベルの半導体が多く使われるのは、自動車産業です。自動車の場合、その部品である半導体は、振動や埃(ほこり)、熱といった劣悪な環境の中で使用されるため、耐久性が必要となります。そのため、「最先端の部品」よりも「使い慣れた部品」の方が適しているのです。従って、安定した品質が求められるわけですが、その中心となるのが「22~28ナノ」の半導体です。

つまり、JASMは顧客や市場が「今、何を望んでいるのか」を考えた上で、あえて10年前の半導体を作ろうとしています。JASMには顧客がきちんと見えており、そこでの最多需要の獲得を狙っているわけです。
ここで興味深いことは、JASMが最先端の半導体を作るわけではないのに、日本政府が6000億円規模の基金を設置し、JASMへの大型投資を行うとしている点です。これまで日本政府の投資戦略では「最先端の領域であること」「どこの国も作っていないもの」に投資するという基本方針が見受けられました。その基本を変えてまで、JASMに数千億円もの投資をしているのです。
――日本政府はJASMの経営戦略を評価した、ということなのでしょうか。
長内 そうですね。日本政府がJASMの経営戦略を評価し、テクノロジーをビジネスオリエンテッドの発想で投資をしていることの証しと言えます。既に顧客が見えているもの、ビジネスが成立しているものに対してしっかりと投資する、ということです。
こうした動きは、これまでの日本政府の方針にはなかったことであり、そこには大きな意識変革があったものと思われます。同時に、日本政府は最先端を追求するラピダスにも投資するわけですから、「ハイリスク・ハイリターン」と「ローリスク・ローリターン」の両睨みの投資を行う形です。
さらに言えば、日本はJASMを通じて世界最先端の「半導体の製造」を学ぶこともできるはずです。かつて、日本は1980年代に半導体製造の世界トップを走っていました。しかし、その後には衰退の一途を辿り、現在日本の半導体は40ナノの製造が限界です。
JAMSには多くの日本人が関わります。だからこそ、この機会にもう一度、現在の世界トップである台湾の半導体製造プロセスをしっかりと学び、新たな人材育成と技術修得を行うべきだと思います。そうした取り組みが次世代の日本の製造業にとって、今最も重要なことだと考えています。
イノベーションは「価値創造」と「価値獲得」の両輪で成り立つ
――ラピダスとJASMの経営戦略の比較を通じて、日本企業は何を学ぶべきでしょうか。
長内 次の2つのことを学ぶべきだと思います。1つは「大規模な生産から逃げない」ことです。日本企業は「技術で差をつけるのだから、いたずらに数を追わない」と考えがちですが、過去のケースに照らすと、中途半端なビジネスで終わっているケースが多いのです。技術で差をつけることは重要ですが、21世紀のデジタル技術の時代には「数を追う」ことも同時に行わないと、利益を出すことができません。
なぜならば、デジタル技術の多くは機能・性能が「ソフトウエア」と「半導体」によって決まるからです。ソフトウエアも大規模な設備投資を伴う半導体も固定費になります。そのため、ビジネスの基本構造としては数を追わなければ儲からないのです。
また、デジタルの時代になると、同じ品質のものを大量に複製できます。そのため、そこでは「規模の経済性」が働き、数を稼がなければ儲からなくなります。結果として、大規模に生産する企業だけが生き残るようになるのです。

デジタルの時代の製造業は、大前提として「数を追うこと」から逃げてはいけません。その意味では、アナログからデジタルへの転換は、技術的な変化であると同時に、ビジネス構造にも大きな転換をもたらしたといえます。
――デジタルの時代に学ぶべき「もう1つのこと」は、何でしょうか。
長内 もう1つは「顧客をきちんと見ているか」ということです。日本企業は、これまで「自分たちの技術さえ良ければ、お客さまは後から付いてくる」という発想が根強く残っていました。しかし、新たな技術がいかに優れて便利なものでも、お客さまが買ってくれなければ意味がありません。
そして、十分な利益を獲得できないのであれば、それは「イノベーション」ではなく「インベンション」(発明)にすぎません。お客さまが買ってくれるのは、技術ではなく製品なのです。
日本でイノベーションについて議論をすると、新しいものを生み出す「価値創造」(Value Creation)に注目が集まりがちですが、生み出したものから経済的な利益を確実に得る「価値獲得」(Value Capture)も重要なイノベーションです。
新たな技術からどのようにして自国、または自社に持続的な利益を確実にもたらすようにするか、という視点です。「価値獲得」の議論がしっかりとなされて初めて、最先端の技術がイノベーションにつながると考えています。
【後編に続く】ソニー「CMOSセンサー」成功の秘密、4代目岩間社長から継承した「引き算の発想」とは
■【前編】最先端ではなく「10年前の半導体」を作るJASMに政府が大型投資をする納得の理由(今回)
■【後編】ソニー「CMOSセンサー」成功の秘密、4代目岩間社長から継承した「引き算の発想」とは
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