赤ちゃん本舗取締役執行役員マーケティング本部長の土師弘明氏(撮影:今祥雄)
2022年に創業90年を迎えたベビー用品大手の赤ちゃん本舗。専門小売店「アカチャンホンポ」を国内で127店展開する同社は、日本の1年間で生まれる赤ちゃん数の50%以上にあたる約40万人の情報を毎年獲得している。
とはいえ、日本では出生数は年々下がっていく傾向にあり、市場は縮小するばかり。そんな中で赤ちゃん本舗が取り組む、顧客LTV(ライフタイムバリュー)を最大化させるためのマーケティング施策とは。同社取締役執行役員の土師弘明氏に話を聞いた。

割引よりも重要な「不安の解消」
──出生数の低下はほとんど恒久的なトレンドと言っていいと思います。赤ちゃんの数そのものが減っていく中、赤ちゃん本舗はどのような戦略を立てているのですか。
土師 弘明/赤ちゃん本舗 取締役執行役員 マーケティング本部長1997年赤ちゃん本舗入社。店舗、商品、カスタマーサービス、販促部門を経て、2019年より顧客マーケやデジタル関連部門でCX向上、DXを推進。アカチャンホンポアプリ・ポイント関連情報などのCRM、顧客データベースの構築に携わる。
土師弘明氏(以下敬称略) 厚生労働省によると2022年の出生数は77万747人でしたが、我々はその約半数である40万人ほどのお母さんが顧客登録している小売店です。マタニティ、ベビーをターゲットにしたビジネスを行う事業者としては、日本でもこれほど多くのデータを保有している企業はないと自負しています。
当社は2019年に紙式のポイントカードからアプリに顧客データを統合しました。従来から顧客データの分析やDMでのアプローチは実践してきましたが、アプリを通すことで、個々の妊婦さん・乳幼児ママの細かなニーズに寄り添うマーケティングを打てるようになってきています。
その大きなポイントは以下の2つになります。1つは、「妊娠初期にご登録いただく」ことです。妊娠が明らかになるのが8~10週目で、多くの方にとって40週(280日)が出産予定日です。妊娠初期から出産までの期間が長ければ長いほど、顧客LTVが増えていきます。現在は会員様の約半数が妊娠20週目で登録しているのですが、今後はより早いタイミングで会員になっていただけるような施策を打っていきます。
そのために注力しているのは、割引情報といった商品の販促よりも「妊娠中の不安を軽減する仕掛け」です。一例に、アプリ上で妊娠8週から産後52週(1歳)までの生活に関するコラム記事を展開する「W/Story(ウィズストーリー)」というコーナーがあります。
ヒットしたのは「『22週の壁?』この時期に医療者が伝えたい大切なこと」という助産師執筆の記事です。妊娠22週未満の出産は「流産」と呼ばれ、赤ちゃんの生存が難しいと言われています。22週目に入ったことは、いわゆる安定期に入ってきた証で、周囲に懐妊を伝えるタイミングの一つでもありますが、妊婦さんの不安も大きいのです。そこで、日々の過ごし方や栄養の取り方などの情報をアプリで配信しています。このように妊婦さんに寄り添った記事を発信することで信頼感が醸成され、アカチャンホンポへのファンを増やし、拡散から早期のご登録を期待しています。
2つ目は「妊娠週に合わせた適切な商品の提案」です。アカチャンホンポが販売する乳幼児向けの商品は、紙オムツ・ほ乳びんといった消耗品から、ベビーラックやベビーカーまで幅広く存在します。赤ちゃんがお腹の中にいる時、ママはさまざまなことを考えるものです。「ほ乳びんはいつ頃用意したらいいのかしら」「ベビーラックは最新の電動型が良いのだろうか」など、妊娠週によって求める商品も変わってきます。アプリが存在しない頃はすべての会員様に一律に割引クーポンを配信していましたが、現在は妊娠週や来店頻度に合わせて商品をお得に購入できるクーポンを配信しているのです。
ほ乳びんが「産後」に売れる理由
土師 オンラインへのデータ統合を行う前は、データ自体は持っていたのですが、個別アプローチができない環境では分析が進まずあいまいになっていた部分がありました。個別アプローチができる環境になり、妊娠週数によって変化するニーズが明らかになってきたのです。
代表的なのは、「出産直後にほ乳びんが売れる」というもの。従来は「ほ乳びんは出産前に用意しているのだろう」と漠然と考えていましたが、実は出産後にはじめて「ほ乳びん1本じゃ足りなかった」「母乳育児を考えていたが、母乳の出が悪いのでミルクでの対応にした」というニーズがあることが分かったのです。現在では出産後にほ乳びんの割引クーポンを多めに発行しています。

──顧客行動の可視化によって、これまでは見えなかった潜在的なニーズが明らかになってきたのですね。
土師 はい。他にも、電動タイプのベビーラックは出産前に買われて、手動のベビーラックは出産後に買われる、というようなデータも取れています。これに関してはまだはっきりした理由は分かっていないのですが、おそらく首すわりや赤ちゃんの体重など、様々な要因が絡み合っているのでしょう。今後は、こうしたインサイトを元に適切なマーケティングを打っていきたいと考えています。
──ベビー用品は万人向けの商材ではありません。かなり限られたターゲットに向けてマーケティング施策を打つことになりますが、その中でどのような工夫をしていますか。
土師 品質や値段が大切なのは当たり前ですが、購入シーンとお客様のご事情を考慮することも同等に重要です。アカチャンホンポアプリの顧客データの中には郵便番号も含まれており、お住まいの場所から店舗までの距離にあわせたマーケティングも打っています。
例えば、再来月妊娠を控えている方が2人いるとして、最寄り店舗から20キロ離れているお客様と、1キロ先に店舗があるお客様では来店時の購買動機が大きく異なるのです。前者の方は「向こう3カ月は店舗に行けないからベビーカーも買っておこう」と考えるのに対して、後者は「出産後にベビーカーは考えれば良いや」と思うのが自然でしょう。つまり、前者は1回の来店あたりの金額が高いのに対して、後者は買い物金額は低くとも来店頻度は高いのです。
当社では最寄り店舗からの距離を逆算して割引商品を選定し、クーポンを発行しています。
子育てママの本音に向き合える企業でありたい
──赤ちゃん本舗は2025年度を目標年とする中期経営計画の中で「子育て総合支援企業」を目指す、と宣言しています。具体的にどのような支援をしていくのでしょうか。
土師 日本で出生数が下がり続けている理由は様々あるのでしょうが、妊娠初期から4歳までの子育てにおいて重要なアイテムを販売する当社ができることは、「子育てを喜べる」社会の実現を目指し応援することだと考えています。
40万人のお母さんが登録している顧客データは、他の企業や行政も持つことができないのではないかと思います。当社ではその顧客データを活用して、妊娠や子育て中の悩みを共有できる「赤ちゃんのいる暮らしコミュニティ」というオンライン・プラットフォームを運営しています。
このプラットフォームをさらに充実させ、先輩ママ・パパから妊娠中の生活のアドバイスを得られたり、自分の率直な悩みを吐き出せたりと、都市化で孤立してしまいがちな新米ママ・パパを支えるコミュニティをつくっていきたいと考えています。

──これから子育てをする方々にとって心強いサービスですね。
土師 一民間企業としても、少子化という問題の解決に少しでも手助けしたいと考えています。「赤ちゃんのいる暮らしコミュニティ」で集まった意見は、世の中に広く発表するなどの方策も考えています。子育ての現実はなかなか政治にも、ビジネスの中枢にも届かない部分がありますが、当社は赤ちゃんを育てる方々の本音に向き合える企業でありたいと願っています。

